香港映画界における伝説の巨星。闘神。ブルース・リー(李小龍)!
もし彼がいなかったら、香港映画が中華圏を超えて世界へ進出するのが10年は遅れたかもしれません。
以前ロンドンの映画博物館に行ったとき、映画の歴史をたどる「常設の展示」のひとつとして、欧米の映画作品や俳優に並んで、ひときわ目立つブルース・リーの超特大のパネル写真がありました。
そのパネルの下に、
「ブルース・リーによって、香港映画は世界市場へ飛び出る足がかりを得た」
みたいな旨のことが書かれていました。
私は、このことにまったく同感です。
事実、日本においても、一般の人々が世の中に「香港映画」なるものの存在をはっきりと認識したのは、ブルース・リー映画以降だと思います。
ブルース・リーが子役で出た古い作品や、18歳で渡米する前に香港で出演した何本かの映画作品を 「前史」 として除くと、ブルース・リーの映画は4作品あります。
すなわち、アメリカから帰国して「香港凱旋後に撮った4本の主演映画」が、世界共通の認識として「ブルース・リーの代表作」となります。(ブルース・リー死後、代役を使って完成された『死亡遊戯』もありますが、今回はすみませんが除きます)
この主演4作品を、製作された順番でみると、
ゴールデンハーベスト製作の
『ドラゴン危機一発』(唐山大兄/THE BIG BOSS <1971年>)
『ドラゴン怒りの鉄拳』(精武門/FIST OF FURY <1971年>)
ブルース・リーが設立した製作会社、協和電影(コンコルドピクチャーズ)製作の
『ドラゴンへの道』(猛龍過江/THE WAY OF THE DRAGON <1972年>)
の3作品があります。さらに
協和電影とアメリカのメジャー、ワーナーブラザースによる合作の
『燃えよドラゴン』(龍争虎鬥/ENTER THE DRAGON <1973年>)
が、あります。
Q.ここで問題です。
天下のブルース・リー主演4作品には、「ある共通すること」が次のうち、ひとつだけ、あります。
どれでしょう?
【1】 4作品とも、劇中でブルース・リーがヌンチャク技を披露する。
【2】 4作品とも、劇中でブルース・リーが「アチョー!」(怪鳥音)を叫ぶ。
【3】 4作品とも、劇中にハダカの女の人が出てくるエッチなシーンがある。
普通こういう選択肢があると、たいていは意外なものが正解となる。
A.そのとおり!正解は【3】です。
【正解と解説】
正解:【3】
解説:
【1】のヌンチャクと、【2】の「アチョー」は、第1作の『ドラゴン危機一発』ではまだ出てきません。
ヌンチャクとアチョーは、主演第2作『ドラゴン怒りの鉄拳』以降の3作品に出てきます。
ただし『ドラゴン危機一発』は、のちに音声がレストアされたバージョンがあります。DVD版などの『ドラゴン危機一発』では、「怒りの鉄拳」など他の作品の音声から借りた「アチョー」がブルース・リーの口に合わせて入っています。よってオリジナルではありません。
よって、正解は【3】の、
4作品とも、劇中にハダカの女の人が出てくるエッチなシーンがある。
でした。
ブルース・リー映画を4作品全部観た人は多いと思います。あらためて考えると、全部の作品に女性のハダカが出てきますよね。
私は最初気づかなかったんですが、「そういえば例外なく全部の作品の物語中、女性の裸が出てくるなあ」と「発見」した次第。
ここで実際にそのシーンを見てみます。(下のうち、『ドラゴン危機一発』は中国の動画サイトで動作が重たいです)
これが『ドラゴン危機一発』の該当シーン(1分30秒あたり)
http://www.56.com/u61/v_NDY2NjQ1MTQ.html
これが『ドラゴン怒りの鉄拳』の該当シーン(冒頭から)
http://www.youtube.com/watch?v=5pSJBfoXusA
『ドラゴン怒りの鉄拳』のこのストリップのシーンは、日本の劇場公開ではばっさりカットされました。
たしかにこのシーンは、映画全体の雰囲気からいくと、カットしたほうがいいです。
そしてこれがブルース・リーが自ら監督・脚本を担当した『ドラゴンへの道』の該当シーン(9分50秒あたり。一瞬です)
http://www.youtube.com/watch?v=vSgjPWhax9Q
さらにこれが世界中で大ヒットした『燃えよドラゴン』の該当シーン(冒頭から)
http://www.youtube.com/watch?v=7feYtdZmr2c&feature=related
なぜ、4作品とも女性の裸のシーンが出てくるのか?
言うまでもなく「サービスシーン」です。
私はドラマ「水戸黄門」を観たことがありませんが、このドラマには「由美かおるの入浴シーン」というものが出てきます。そこのシーンだけテレビのバラエティ番組で紹介されていたのを観たことがあるので知ってます。
あと、かつての安直な2時間ドラマにも、ちょうど1時間目あたりになると、他の番組にチャンネルを変えられないように入浴シーンやエッチなシーンを入れていたと聞いたことがあります。
ブルース・リー主演4作品におけるハダカの女の人のシーンは、由美かおる的サービスシーンです。
4作品のうち、アメリカとの合作の『燃えよドラゴン』での「ハダカシーン」は、舞台となる敵の要塞島の「酒池肉林」の雰囲気を出すための演出ともいえます。
しかし、少なくともそれ以外の純正香港3作品は、女性の裸は、物語の本筋とはまったく関係ないと言っていいです。
ブルース・リー自身が敵と戦うために上半身ハダカになる必要性はあっても、女性がスッポンポンになる必然性はないです。
ということで、死後36年たってもいまだに世界中に多くのファンのいる世紀の大スター、多くの格闘家の人生に影響を与え、アメリカのTIME誌に「20世紀の100人」としてチャーチルやガンジーとともに選ばれた、あの天下のブルース・リーの、主演4作品すべてに、例外なくエッチなシーンがあったということです。
当時の娯楽映画というものは、こういうお色気シーンというかサービスシーンというものがごく普通に入っていたのかもしれません。
今と違って、映画を観るという行為は、特に1970年代の香港では、もっと日常生活に身近なものだったと思います。
地域密着型の映画館がまだ街なかにたくさんあった当時の香港には、人々が近所の映画館にブラっと出かけてロビーに貼ってある写真を見て、これから観る映画を選ぶということが行われていたそうです。
映画の中に一瞬でも「お色気シーン」を入れておけば、そのエッチなシーンを下の写真のようなスチール(ロビーカード)にして、映画館のロビーに貼ることができます。(写真のロビーカードは私が香港のアンティークショップでゲットしたもの。しかし、これらはゴールデンハーベストのロゴが新しいことからリバイバル上映時のもので、さらに恐らくコピーの複製品)
当時の香港では徒歩1分四方のブロックに何軒もあった映画館。
それら映画館のロビーに貼ってあるロビーカードの写真を見比べて、それでもどれを観るか迷ったとき、「じゃ、これ観てみようかな」と、ついついエッチなほうに流れる男の悲しき習性を狙った戦法。
きわめてオーソドックスです。
1979年に発行された山口文憲の『香港 旅の雑学ノート』の第3章の「5 電影」に、当時の香港の映画館の様子として、このことが端的に語られています。
長いですが引用します。(読みやすいように行替え、分割しています)
「映画館は<街市>と並んで香港のコミュニティーのもっとも基本的な構成要素だ。(中略)
地区の住人の一日の行動パターンでいえば、まず朝、飲茶をするために地区の酒樓へ行き、それから仕事にでかける。夕方地区に戻って買物をし、晩メシをすませてから、サテちょっと出てくるか、と地区の映画館に足を運ぶということになる。
香港はあれほど狭く、またまちが切れ目なくひとつになっているにもかかわらず、住人はだいたい自分の地区のなかで用を足していて、その生活の一部に映画を観に行くということがある。だから映画館は地区のなかになければならないのだ。
六〇年代の半ばまでは、東京にも、都心から離れた国電や私鉄の駅前通りにひとつずつ、木造の小便くさい映画館があって、夕方からゲタばきでぶらりとでかける習慣があった。
その当時はどちらかというと、コレコレの作品を観にいくというよりは、ただなんとなく映画にいってくる、という風にして、日本人も映画とつきあっていた。そのやり方が香港ではまだ完全に生きているのだ。
(中略)
さて開始時間の頃になると、戲院の前のスチール写真のウインドーは黒山のひとだかりになる。しばらく思案したのちに、ウンあっちの戲院のスチールも一応みてからにしよう、と立ち去るひともあれば、イヤやっぱりこっちの方がおもしろそうだとひきかえしてくるひともある。
香港の映画入場者の大半は、映画ファンというよりは、単なるヒマ人。何を観るかは、家を出てから決めるという人が少なくない。
そうなるとスチールのできが即、営業に響いてくるから、表現には誇大広告の傾向がでてくる。特に香港製映画の場合は、内容におかまいなくスチールはハダカ一本槍。つられて入ってみるとなんのことはないただのカンフー映画だったりして、拍子抜けすることがある。
なにしろ、ほんの一カットだけしかない入浴シーンなどが、集中的に何枚もスチールになっているので、ついつい善良な市民は全篇ハダカなのかと思ってしまうわけだが、これはだまされるほうがトンマなのだろう。」(P.206~209、文庫本P.312~316)
30年前の香港の映画館の風景。なんか、イイ時代だったんだなあ!
ハダカの女の人が出てくるシーンがもれなく入っていたということは、ブルース・リーの作品も、そういう数ある香港映画のひとつだったのです。
この時代の香港の大映画館で、ブルース・リーの作品を香港人といっしょに歓声をあげながら観たかったです。
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