きょうは、女子サッカー部出身のカミさんと現サッカー部員の小2の息子が、区のサッカー親子観戦会の抽選に当たり、Jリーグ(FC東京 VS. 浦和レッズ)の試合を観に味の素スタジアムに行ってます。私は留守番です。

中島義道という、かなりクセのある哲学者がいます。哲学者としてクセがあるというのではなく、人間としてとんでもなくクセのあるひとです。

「うるさい日本の私」
が面白かったのでそれ以降、難しい哲学をテーマにしているもの以外の彼の著書を、出るたびに読んでます(図書館から借りて)。

この人の著書の中に「私の嫌いな10の言葉」 という本があります。

ということで、この本とはまったく関係ないけど、
「私のあんまり好きじゃない香港に関する3つのキャッチフレーズ」

私の個人的な感覚です。

順不同。

まず、

「借り物の場所 借り物の時間」

読んだことはありませんが、ハン・スーインの小説「慕情」に、香港を形容する言葉として出てきます。ということで、この言葉はその出自も有名。小説は映画にもなりました。

私はこの言葉自体が嫌いなのではなくて、ガイドブックなどで香港を紹介するときにこの言葉を引用して使う、その安易な使われ方がイヤなのでした。ちょっと前まで、香港のガイドブックや雑誌の香港特集で、このキャッチフレーズがやたら安易に使われていたので、食傷気味でうんざりしてました。記事が安易に執筆されている印象を受けました。

「香港。 借り物の場所、借り物の時間。 ここ香港では……」

でも、この植民地香港を表した言葉は、さんざん使われたあげく、香港がイギリスから中国に返還されてからは香港の実情にそぐわないので、さすがに死語になりました。

インターネットの画像の拡散と同じで、この言葉を使うライターさんも、おそらく言葉のオリジナルの出どころが小説「慕情」のものとは知らずに、ほかの直近のガイドブックからの孫引きで引用していたと思われます。雑誌の香港特集などを読んでいてこの言葉が出てきたら、その「借り物の言葉」に興ざめして私のなかでは一気にその記事の価値が下がりました。

「東洋の真珠」

これももう古いことばですが、文章中にこの言葉で香港が形容されていると、「安易な表現だなあ」と思ってしまいます。西洋人が付けたキャッチフレーズを東洋人の日本人が安易に受け売りで使っているような印象があります。

「東洋と西洋の交差点」

この言葉だけではなくて「東洋と西洋の入り混じった」とか「東洋と西洋の融合」とか「東洋と西洋が出会う」とかでもいいのですが、私にはいまいちピンとこないのです。

東京もソウルも、多くのアジアの都市は多かれ少なかれ東洋と西洋が融合しているというか、東洋が西洋に浸食されてできあがっていると思うので、なにも香港に向かって専売特許のようにこのキャッチフレーズを付けなくてもいいのではないか、と香港ツアーのパンフレットのキャッチコピーを見ていつも思う……。

前にも書きましたが、香港の観光について書かれた小難しい学術本のようなある本によれば、「東洋と西洋の融合した香港」というのは、戦後、香港の観光を担当するお役所が考えた出した宣伝コンセプトとのこと。植民地香港を観光地として売るために造ったイメージだったということです。だから、東京の観光局が長期戦略で「東洋と西洋の融合」というコンセプトを観光誘致の宣伝に使ってたら、東京も「東洋と西洋の交差点」になっていたのかもしれません。

という、あくまで私の感覚、私の私見としての、「私の好きじゃない香港に関する3つのキャッチフレーズ」でした。