その3からのつづき。 最初から読まれたい方はこちら

私は、2階建て(もしかしたら平屋だったかも)の本部棟と思われる建物に入りました。

この写真は受付の横の壁にあったプレート。

studio_02.jpg ゴールデンハーベストの創設者、レイモンド・チョウ(Raymond chow/鄒文懐)の名前が入っています。

受付に女性が座っていました、電話で言われた通りTさんを呼んでもらいました。

しばらくして、奥のオフィスから少し年配の男性が現れました。

「電話しましたKです」

「どうも、こんにちは。Tです。じゃ、どうぞ」

Tさんは私を伴って外に出ました。

これはあとで日本に帰ってから見たテレビ番組で知ることになるのですが、Tさんは当時ゴールデンハーベストの「アジア部長」の肩書きを持つ方でした。日本の番組にジャッキー・チェンといっしょに出ているのを見ました。

「日本から来たんですか」

「はい、そうです」

「香港映画が好きなんですか?」

「はい!」

こんなやりとりをしたと記憶しています。私は緊張というかかなり気分が高揚してしまって、口数が少なかったように思います。

「どんな俳優が好きなの?」

「ディック・ウェイ(狄威)が好きです」

ここで私は、自分が香港映画が好きなことを示したいために、ちょっと渋めの俳優の名を挙げました。

ディック・ウェイは台湾出身の俳優で、当時の日本ではジャッキー・チェンの 『プロジェクトA』 の敵のボス役など、主に悪役で見ることができました(これ<YouTube>)。彼のアクションは華麗で特に蹴りの足技が本当に切れっ切れでシャープなので見惚れます。

実際、私はディック・ウェイのファンでした。当時、VHSビデオで彼のシーンをスローモーションにして何度も繰り返し見たりしていたのです。

と、たった今Tさんに 「ディック・ウェイが好きだ」 と言った、その舌の根も乾かぬうち、私はTさんにこう言いました。

「あの、ジャッキー・チェンいますか?

いま思えば冷や汗です。しかし、当時の日本人にとっては香港映画といえばなにはなくともジャッキー・チェン。このやりとりはそんなに不自然ではなかったように思います(多分)。

すると、

「ああ、いますよ、今、撮影やってます。きょうはユン・ピョウも別の映画で撮影やってますよ」

あっさりTさんがそう言ったので、私は 「あ、そうなんだあ」 と思いました。ノンキです。

ジャッキー・チェンとユン・ピョウがそれぞれ別の映画でスタジオの中で同時進行で映画を撮っているという、これぞまさに香港映画黄金時代です。

人間の感情というものは不思議なものだなと思うのですが、生まれて初めての慣れない外国でただでさえ毎日気分がハイになっている状態で、しかも昨日までは考えもしなかったゴールデンハーベストの撮影所の中に自分が立っていて、しかもジャッキー・チェンやユン・ピョウが、今、すぐ近くにいるということを目の前の人から告げられた―――、そんな状況に置かれると、かえってその現実に実感が伴わないのか、驚くという感情に脳が追いついていけないのでした。そんな変な気持ちだったのを覚えています。

正直言えば、ほんの1時間少し前にホテルから電話してスタジオに入れることが決まってから、頭の中では、「ジャッキー・チェンがいたらいいだろうなあ」と淡く思っていましたが、まさかスタジオに本当にいるとは思わなかったのでした。

「会えますか?」

と私は聞きました。これにTさんがどう答えたのか、実は今はもうはっきり覚えていません。こんな会話をやりとりしているうちに、Tさんは私を連れてズンズン前を歩き、中央に鉄の扉のあるスタジオ棟に着きました。

これです。

studio_01.jpg 中に入りました。

つづく。