2009年9月アーカイブ

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 ウチの家宝、というか家族はまったく無関心ですが私が大切にしている「香港みやげ」のひとつです。

 1960年代に撮影されたというショウブラザースの写真です。社長のランラン・ショウ(邵逸夫)と俳優陣の集合写真です。大きさはタテ39cm×ヨコ49cmです。

 1990年代の半ば頃、尖沙咀のフェリー乗り場近くの星光行ビル地下にあったアンティークショップで見つけて買いました。数百円という金額だったと思います。

 そんな金額ですからもちろん複製です。でもかなり鮮明にプリントされています。家に遊びに来た妻の友人の香港人女性が、「うわ、この写真は価値がありますよ!」と言ってナマ写真と勘違いしてましたから。

 香港で買ったのは写真だけでした。日本に戻ってから渋谷東急ハンズに行って写真の大きさに合わせてフレームをオーダーして額装したのが、上の写真です。

 サイズが大きくてスキャナにかけられないのでデジカメで接写してみました。スキャンに比べてやはり少しボケてますが、下の写真をクリックすると拡大して見られます。

shaw-members.jpg この集合写真は同時にポーズ違いで何枚か撮影されたようで、これとは別バージョンのものが香港の書籍に載っています。また、以前放送されたNHK BS2の 『香港電影風雲人物録』 にも同じく別のものが出てきました。

 きのう、この写真を押し入れから出して久しぶりに部屋に飾っておいたら、小学2年生の息子が写真をじっと見ているので何かと思ったら、「この中にお父さんが写っているの?」と聞いてきました。

 それにしても 、社長が新車を手に入れたばっかりなのか、ロールスロイスと一緒に記念撮影とは、いかにも香港です。
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 悠さんからいただいたコメントのとおり、悠さんがトラムの紙模型(ペーパークラフト)を見つけてくださいました。

 「エプソン香港」のサイトです。

 EPSON紙模型網 http://www.epson.com.hk/files/minisite/papercraft/index.htm

 「Get ! 免費下戴」 > 「建築物及交通工具」 で行けます。

 シンプルなので簡単に作れそうです。よく見ると、開けた窓の位置がそれぞれ微妙に変えてあって芸が細かいです。

 このサイトには的士や九龍の時計台の紙模型もありますよ!

 いま思いついたのですが、このトラムの紙模型の、輪郭線だけを残して、画像編集ソフトで色を変えたり文字や絵や写真を載せれば別のデザインのトラムに変身させることもできそうです。

 でも、やると私の場合際限なくハマリそうなので手を付けないことにします(笑)。
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 私がよく行く図書館は区民文化会館に入っていて、そこの玄関ホールには小学生の工作教室の作品などがいつも並べられています。

 おととい、そこにトラムのペーパークラフトが置いてありました(上写真)。

 ケータイで撮った写真をアップします。撮影の設定がよくわからなかったので不鮮明な写真になってしまいました。私はふだんまったくといっていいほどケータイで写真を撮らないので。言い訳になってませんが。

 ボケボケ&粗い写真で分かりにくいですが、エプソンのプリンタの全面広告の入ったトラムです。

 どうも、イチから絵を作成して作ったものではなくて、ネットか何かからダウンロードしたものをプリントして使ったような感じです。

 ウチに戻ってさっそく「hongkong tram papercraft」などのキーワードで検索したが見つからず。

 しかし、その代わり、バスのペーパークラフトのサイトを発見。

papercraft.jpg ココ。

 http://chiukitng.tripod.com/index.htm

 左の「紙巴集」にたくさんのモデルがあります。

 また、「紙巴士網頁」のリンク先にもペーパークラフトがあるようです。

 厚めの紙にプリントすれば簡単に香港巴士が作れます。ウチはただいまプリンタが壊れていてプリントできません......。


 結局トラムのペーパークラフトは見つかりませんでした。あるブログでリンク紹介があったのですが行ってみたら閉鎖されていました。もしかして、エプソンのプリンタのユーザー向けサイトなのか?

 トラムのペーパークラフト、作ってみたいです。どなたか発見されましたら、教えてください。
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 「アサヒグラフ 1981年10月9日号」が、香港の特集を組んでいるということを知り、古書店でその古本を見つけました。しかし中身がどんなものか確認できませんでした。

 そこで、図書館にあればそれを借りて中身を見て、良ければその古本を買うことにしました。図書館のサイトで検索したところ、2ヶ月分8冊を合本にしたものが蔵書されていました。

 さっそく借りました。重いので持って帰ってくるのが少し大変でした(ほかにも息子のための児童小説やら仕事の本を15冊ほど借りたので)。

 タイトルは「香港-暗黒街にもぐる」です。25ページにわたる特集です。

 もちろん、というか当然というか、いわずと知れた 『九龍城』 の特集です。

 グラフ誌ですから、写真がメインです。ところが、期待していたような写真ではありませんでした。

asahi-graph2.jpg どの写真もみな、寄っているのです。

asahi-graph3.jpg 1枚1枚の写真は、いいものかもしれません。しかし、壁、人、小物、すべてにわたって被写体に寄りすぎているのです。

 だから九龍寨城(九龍城砦)を知らない人がこの特集の写真を見たら、九龍寨城がどんな様子というか構造の場所なのかわからないと思います。でもこの雑誌はグラフ誌なんですから、そこはちゃんと目で見えるようにしてほしかったところです。

 1枚か2枚だけでいいので、もうちょっと引いた写真を見たかったです。

 私の見たかったものと、この特集の撮影者や編集者の見せたかったものがズレていたということです。アサヒグラフの読者は日本では想像できない「暗黒街」を見たいのだろうし、編集側もそれを見せようとしたのだろうし、そっちが正常だと思います。私のほうがあさっての方向の期待をしていたのでした。

 撮影した人がリポート文も書いています。

 リポートでは、例によって九龍寨城/九龍城砦のことを 「九龍城」 と書いているので、「またか」 と思いましたが、でも当時はまだビル群のまわりに低層のバラックがあったと聞きますので、だからここも含めて「九龍城」としているのかと思いました。新宿とか渋谷とか、そういう大雑把な言い方として、エリア名として「九龍城」と書いたのかと。

 ところが、冒頭の記述で 「九龍城 - 英語で『KOWLOON WALLED CITY』と呼ばれている」 と説明しているので、やはりこのリポートで「九龍城」と言っているのは九龍寨城のことのようです。

 また、単にスラム街という意味で「黒社会」という言葉を使っていたり、写真に写っている「九龍場」内のおじさんを「おっさん」呼ばわりしているのも気になりました。



 写真はあるていど真実を物語るものだと思います。でも、何にレンズを向けてどんな雰囲気に撮るかはカメラマンによって全然違うだろうし、撮ってきた写真のどれを誌面に載せるかということも、 撮影前にすでにイメージが固まっていたら、たとえ取材により真実が別のところにあったことが判明しても、やはり取材前のイメージに沿った内容や雰囲気の写真が、カメラマンや編集者や編集長に 「よし、これでいこう!」と選ばれてしまうのだろうと思います。

 「暗黒街にいざ潜入!」と取材に赴けば、街は予定通り暗黒街になって 誌面は 「みなこちらに鋭い視線をむけてくる」 となるし、たくましく活気ある庶民の街として特集を組もうと思えば、誌面には笑顔で商売をするおじさんの写真が登場するんだろうと思います。当時、九龍寨城には普通の人々がたくさん暮らしていたのですから。

 この特集を見る前、私は、「暗黒街にもぐる」というタイトルから、十中八九、それは当然「九龍寨城」のことだと思っていました。またアヘン窟なども出てくるとは思っていました。でも、内容は予想以上に「暗黒街」でした。掲載されている写真のいちばんのメインは見開きで大きく載っているヘロインを腕に注射する男性と、同じく見開き写真の売春婦の女性でした。

 もっと、街としての当時の九龍城砦がどんな様子なのか見たかったのですが、この特集は「暗黒街」なのですから、私のその期待こそが筋違いというものでした。



 リポートでは、砦内に潜入してアヘン窟でチンピラに囲まれてカメラを奪われ暴行を受けるてん末も書かれていますので、それが事実とすれば決死の取材だったことはわかります。

 読んでみて思ったのは、当時、九龍寨城というのは、「暗黒街」としてものすごく「ポピュラー」だったのだろうなあということです。

 いま、香港の「暗黒街」をリポートしようとした場合、たしかに現在も香港に暗黒街はあるだろうし、アヘン窟もあるかもしれないけれど、でも、暗黒街にたどりついてもそこは、「九龍城」のような、記号として有名な場所ではないと思います。

 どこかの本にも書いてありましたが、「九龍城」というのは香港の「暗黒街」とか「裏社会」のイメージを一手に引き受ける便利な場所だったのだと思います。

 私としては、無責任な旅行者の立場で言ってしまうのですが、この九龍寨城のオブジェ自体がなくなったことはすごく惜しいと思っています。



 あと、もうひとつ。この特集にはこういう記述がありました。

 「香港にいったことのある人なら誰でも知っていると思うが、『勝報』という新聞がある。」

 へえ、そんな新聞があったんだ。私は知らないが。で、その続きを読むと

 「わずか六ページほどの新聞だが、これ全面、売春婦たちからの熱烈なメッセージが、それもカラー付きでのっていて面白い。」

 .........。 当時の日本人男性旅行者に対する皮肉か。でも、いくらなんでも当時の香港旅行がそんな状況だったとは思えないのだが。



 と、ここまで書いてて思ったのですが、こんな何年も前の雑誌を自分で取り上げておきながら辛口で書くのも変ですよね。でも書いたからアップしておきます。

 この「アサヒグラフ」は今回はスルーすることにしました。ご興味のあるかたは探してみてください。500円以下で手に入ると思います。
 前回からの続きです。ウチの押し入れに眠っていた「おみやげスライド」の16枚目です。

 今回の記事、私の貧弱な中文読解力ゆえ、ソースとした維基百科の解釈を間違っているかもしれませんので何かあればご指摘ください(場合によっては記事削除!)。

slide-16.jpg 写真をクリックすると拡大して見られます。

 旧ピークタワーです。

 スライドのマウントには

 「No.16
  山頂餐廰
  山頂の食堂
  PEAK TOWER RESTAURANT」

 と書かれています。

 たしかにレストランはこの建物の中に入っているのでしょうけど、この場合、

 「老襯亭
  山頂の塔
  PEAK TOWER」

 あるいは

 「爐峰塔
  山頂の塔
  PEAK TOWER」

 としたほうがいいんじゃないかと思います。

 「老襯亭」とか「爐峰塔」というのは、いま、ネットでたどっていって、にわか仕込みで知った名前です。

 私の貧弱な中文読解力でいくと、維基百科(ウィキペディア中文版)によれば、「老襯亭」というのがピークに建つ建物の「2代目」で、1972年にこの「老襯亭」の上にタワーとなる「爐峰塔」を増築してこれを「3代目」としています。(間違っていたらご指摘ください)

 しかし、「爐峰塔」の名前は当時一般にはけっきょく浸透しなかったのか、画像検索してみると「爐峰塔」よりも「老襯亭」のほうが数多くヒットします。「老襯亭」は、「爐峰塔」を含めた全体を指していることになるのか。改築して「爐峰塔」が建ったあとも「老襯亭」の名前が広く使われていたのでしょうか。

 この「老襯亭」は、上に書いたように途中1972年のタワー増築がありますが、建物自体は1950年(1950年代?)に建てられたようです。1993年に、現在のピークタワーに建て直すため閉鎖されています。

 写真はタワーの「爐峰塔」が写っているので1972年以降の撮影となります。では1972年以降、この写真いつ撮影されたものか?

 手前の駐車場を見ると、私の知っているクルマが1台あります。いちばん右の列のいちばん手前、銀色のクルマはトヨタの初代セリカです。

 拡大写真。青い矢印のクルマ。

celica_closeup.jpg これが初代セリカです。ウィキペディアより引用。(トヨタ博物館かどこかの展示車両です。車両の保護のためなのか、車体が持ち上げられているので、クーペなのに4WDオフロード車のようにタイヤとボディの間のすき間が大きく空いていてちょっとかっこ悪いです)

toyota_celica.jpgcelica-rear.jpg このクルマは、ウィキペディアによれば(こればっかりですね)、1970年12月にデビューした、とあります。ということでこの写真はそれ以降の撮影ということになりますが、すでにタワーができた1972年以降の撮影とわかっているので判断材料にはなりませんでした......。

 1972年以降にデビューしたクルマが写っていれば、それ以降の撮影ということになりますが、私にはセリカ以外にはわかりません。駐車場にはロングセラーのフォルクスワーゲン・ビートルの姿も見えます。しかし写っている2台は、フロントウインドウがフラットになっていて、これは聞くところによると1960年代以前のモデルのようです。

 いちおう駐車場のクルマの部分を拡大したものを載せておきます。写真をクリックすると拡大します。

parking_closeup.jpg いずれのクルマも1980年代ではなく1970年代のデザインのように感じます。セリカが駐車場に並んでいるクルマのなかではいちばん新しいデザインのような気もします。

 まあ、ここまで考えてみて、もうどうでもよくなってきました(笑)。維基百科の中文も私にはよく理解できていないかもしれないので、間違っていたらすみません。ご指摘あればよろしくお願いいたします。

 古い写真ひとつだけ見つけました。

peak_building.jpg 右に建築中の「老襯亭」が写っています。窓が同じ形をしているのがわかります。


 
 1997年に完全に建て換えられた現在のピークタワーは「4代目」の「凌霄閣」です。これが現在のピークタワーです。

peaktower.jpg ちなみに私は「老襯亭」も現在の「凌霄閣」も、一度も中に入ったことがありません
 
 【参考】 維基百科「老襯亭」

       維基百科「凌霄閣」

       Wikipedia 「PEAK TOWER」

 ......今回の記事、読み返してみて、なんでここまで執着して書いたのか、いつもながら汗がでてしまいます。別にいつ撮ったものだっていいじゃないか......。ここまで読まれたかたには感謝します。

 なお、Google香港に行き「老襯亭」で画像検索すると今回のスライド写真と同じものがたくさんヒットします。
 テレビでの放映は今では難しいというか不可能とされているらしいジミー・ウォング(王羽)の名作にして怪作、いや怪作にして怪作  『獨臂拳王(邦題:片腕ドラゴン)』(1972年)。(CSならやってるかもしれません)

 私は一度だけテレビの洋画劇場で観ました。当時、この映画を見終わってテレビの前に呆然とたたずみながら、私はいたいけな子ども心に漠然と 「すごい映画(というかなんだか得たいのしれない文化)だなあ」 と毒気に当てられてしまいました。

 一個前の記事で書きました、「北京原人の逆襲」を発見した動画サイトで、この『獨臂拳王』を見つけたので載せておきます。映画全編を観ることができます。いいのかなあ......。(夕方は映像がちゃんと流れましたが、夜はアクセスが多いのか途切れてしまうようです)


 私はまったくその動向に詳しくないですけど、DVDはここにきて何年か前にやっと出ました。上の映像はDVDからのものだと思います。冒頭のゴールデンハーベストのクレジットは当時のものではありません。当時、劇場で公開されたときのオープニングはたぶんこれ(↓)だと思います。


 あるいはこれ(↓)。


 この『片腕ドラゴン』、タイトルや出演者のクレジットが流れるオープニング(3分30秒あたりから)のバックの音楽が、いきなりアメリカ映画(『黒いジャガー』)の音源から無断借用という、当時の香港映画ならけっして珍しくはないけど今ならゼッタイ考えられないものとなっています。私はこの「黒いジャガー」の曲が好きでサントラ盤を持っているのですが、きょう久しぶりに『片腕ドラゴン』を観て冒頭でこの曲が流れたので驚きました。

 【追記】 参考:
       ●映画『黒いジャガー(原題:Shaft)』メインテーマ
        http://www.youtube.com/watch?v=9MLjyn39SXM 
       ●同 予告編
        http://www.youtube.com/watch?v=NiCB2isZcRM

      『黒いジャガー』のメインテーマはアカデミー賞の歌曲賞を受賞して
      大ヒットしたということです。(そんな有名な曲を無断借用するとは!)



 いま、飛ばして最後のシーンを観てみました。エンディングに流れるトランペットの音楽は、曲の雰囲気からして音源を日本映画から無断拝借したもののような気もします。(いや、どうみてもゼッタイこれは日本映画の音楽だ!)

 こんな音楽の使い方以外にも、タイトルバックでストップシーンを使ったり、動きの粗いアニメーションを傍らで動かしたりと、当時の香港映画ならではの独特の雰囲気がこの『片腕ドラゴン』にはあります。クライマックスで延々と闘ったあといきなり「劇終」となってプッツリ余韻もなく終わってしまうのも香港映画ならではです。

 こういう、映画の「製品」としてのディテールをみると、現在ではアメリカ映画も香港映画も日本映画も韓国映画も、雰囲気の差がほとんどなくなっているように思います。機材の発達や、特にコンピュータの導入が、各国の映画の技術の差とともに個性の差も埋めてしまったんじゃないか。1970年代はまだまだフランス映画やイタリア映画なども含め、各国それぞれの個性があったように思います。

 「片腕ドラゴン」の、たとえばタイトルバックの雰囲気は、やはり当時の日本映画にもアメリカ映画にもなかった独特のものだったと思います。と、いっておきながら私は当時のたとえば東映映画などはほとんど知らないのですが......。東映のアクション映画にこのような雰囲気のものがあったのかもしれません。また、時代的にそれよりも前のイタリア映画のいわゆる「マカロニウエスタン」で、似たようなオープニングの作品があったので、香港映画がそれらに影響を受けたのかもしれないです。



 1990年前後に、有楽町の西武百貨店でやった香港カルチャースクールのようなものに参加したとき、ある回が香港映画の講座でした。講師は香港映画に造詣の深い映画評論家の宇田川幸洋さんでした。

 その講座で彼はモニターに映る香港映画を見せながら、香港映画の「オカシサ」について語ったように思います。

 それはオープニングタイトルの雰囲気だったり、日本映画やアメリカ映画ではあり得ない展開だったりというものでした。私は宇田川さんの意見には共感しました。でもそんな「キッチュ」な雰囲気は今の香港映画ではほとんど見られなくなりました。

 個人的には、香港映画がスマートになったのは嬉しいのです。でも、この『片腕ドラゴン』のような1970年代の作品や、特に私は1980年代にはまだまだ残っていた香港映画の、パワーをともなっていたキッチュさが好きです。



 【追記】 香港歴史博物館に展示されていた、皇都戲院発行のチラシです。左にはブルース・リーの『精武門(ドラゴン怒りの鉄拳)』、そして真ん中に、近日上映として『獨臂拳王(片腕ドラゴン)』が載っています。

fist-of-fury.jpg 詳しくは私のサイトのコチラをご覧ください。
 http://homepage2.nifty.com/hongkong/fist-of-fury.html
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 「香港影視業百年」という香港の映画について書かれた本のページを久しぶりにめくっていたらこんな写真がありました。(クリックすると拡大して見られます)

 写真の右に、先日の記事(コレコレ)で書きました香港大會堂(City Hall)が、ミニチュアセットで写っています。これから破壊されるのか?

 1977年のショウブラザース映画『猩猩王』(北京原人の逆襲)です。この映画は一言でいうと「香港版キングコング」。

 はるか昔にテレビの洋画劇場で観て以来久しぶりに、1、2年ほど前にDVDを借りて観ました。怪作です。

   ●参考:ウィキペディア「北京原人の逆襲」

 いま動画を探してみたら、ありました。(音声に注意) 


   ●動画:56.com 『猩猩王』高清版

 全編86分が観られるようです。いいのかなあ......。広東語ではなく北京語ですがこの映画は北京語がオリジナルだと思います。

 私が観たテレビの洋画劇場は日本語吹き替えでしたが、たしかこの映画は劇場公開も日本語版だったと思います。カンフー映画ならともかく特撮映画で中国語だと客が敬遠すると配給側が踏んだのではないかと思います。テレビの洋画劇場ではその音声をそのまま流したので、日本語音声がフィルム独特のこもった感じだったのを記憶しています。

 現地版ポスターもありました。

pekinggenjin-poster.jpg おねえさんのほうが北京原人よりも大きいし主人公のダニー・リー(李修賢)がどこにもいません。ヒョウの顔が怖いです。
young_michael_hui.jpg みっつ下の記事の最後のほうで私が 「若い頃のマイケル・ホイ(許冠文)の写真を見るとキャイーンの天野ひろゆきに似ている」 と言ったのは、この写真のことです。

 若き日のマイケル・ホイ。

 銀行員かと思いました。

 もしかして卒業アルバムの写真なのか? 香港中文大学の。

 「昨夜星光」(三聯書店刊)の第二巻(1960's-1970's)より。

 載っている写真をスキャンしました。



 「昨夜星光」は、上の写真のような俳優のポートレートや出演映画のスチル写真で構成された俳優名鑑です。香港の書店で見つけて即、レジに直行。

 ややセピアがかった写真が、モノクログラビア印刷によるものなのか写真集のようにきめ細かくてたいへんキレイです。

 1940年代~1960年代の第一巻と、1960年代~1970年代の第二巻があります。第三巻以降が出ているかは知りません。

 日本語版も一冊にまとめたものがソフトカバーで出ています。しかし一冊に詰め込んでいるため写真も小さく、印刷も普通のオフセット印刷で、本の出来はまったく香港版とは異なります。

 日本版はワイズ出版の発行で2900円です。いまでも買えるようです。

 写真の左が香港オリジナル版、右が日本語版です。三聯書店の香港オリジナル版は第一巻がHK$180、第二巻がHK$140です。

books_sakuyaseikou.jpg いま調べてみたところ、香港版は、yesasiaでは検索してもヒットしませんでしたが、ここで買えるようです。追記訂正:サイトをよく見たら、売り切れとなっていました。すみません。>

 香港書城サイト(中文のみ)

 ここを見る限りでは第三巻以降は出ていないようです。

 ちなみに私はこの香港書城で先日「粉末都市」を買いました。私の経験では、幸い実害はなかったですが梱包にやや難ありです。もしここで買う場合は、時間がかかりますが送料の安い船便をおすすめします。
 前回はコチラ

slide-15.jpg                  写真をクリックすると拡大して見られます。

 例によって退色を補正、海と空、トラムのボディのところにやたらとキズが多かったので修正しました。
 
 スライドのマウントには

  「No.15
   香港登山䌫車   
←「䌫」は判読しにくいと思います。[糸+覧]です。
   ケブルカー
   PEAK TRAM」


 と書かれてあります。「ケブルカー」に典型的な脱字。やっぱりこうでなくちゃいけません。

 現在では高層ビルに遮られて隠れている香港島北側の海岸線が見えます。

 ちなみにこれが現在のピークトラムの車両。学芸員K撮影。

peaktram-present.jpg 参考:ウィキペディア「ピークトラム」
     公式サイト http://www.thepeak.com.hk/en/5_5_1.asp


 下の記事の「木曜スペシャル」。

 ブルース・リーの映画『死亡遊戯』は、先日記事に書きました香港大會堂(City Hall)で「ワールドプレミア上映会」行われたことが映像を観てわかりました。この上映会には公募による懸賞で日本からもたくさんの人が観に行ったそうです。

 香港大會堂が上の映像の1分50秒あたりで出てきます。
 徹夜明けでいま帰ってきました。

 YouTubeの映像から。1978年に放送された日本テレビの「木曜スペシャル」です。ブルース・リーの「死亡遊戯」公開時の映画宣伝の番組です。

 以前から最初のさわりの部分だけ数分が、YouTubeにアップされていたのですが、最近になってほぼ全編がアップされているのを、mixi仲間の李神龍さんの日記で知りました。

 映像が長いので全部で9本に分かれています。

 驚いたのは8本めの、これ。



 いきなりマイケル・ホイの「賣身契」(Mr.BOO! インベーダー作戦)の撮影風景(どう見てもヤラセですが)が出てきて、若き日のマイケル・ホイが!

 のちに日本で『Mr.BOO!』のタイトルが付いて公開されることになる、『半斤八両』の名シーンも出てきます。

 ところが、なんの手違いか、初期の作品『鬼馬雙星』(Mr.BOO!ギャンブル大将)の名前で紹介されてます。

 マイケル・ホイのコメントの吹き替えがやけにマジメな声で広川太一郎じゃないのが思いっきり違和感あります(笑)。

 この番組で紹介されたことがキッカケでこの『半斤八両』が日本公開となったのかもしれません。実は当時、私はこの放送を見ているのです。家族で大笑いしたのを覚えています。こんな喜劇が香港にあるなんて驚きでした。当時はブームは過ぎたとはいえ香港映画といえばまだ「カラテ映画」「カンフー映画」でしたから。

 このとき、はじめてマイケル・ホイという人を知りました(いや、番組を観たときは、映画はともかく、マイケル・ホイという人物はまったく印象に残らなかった)。

 いまはもう遠いむかし。マイケル・ホイがこの番組に出ていたことも、番組の内容自体も、全部忘れてました。

 そんな、私が若き日のマイケル・ホイ以上にビックリしたのが、3分45秒あたり、MTR佐敦站近くにあった、万博のパビリオンのような姿の大劇場、ゴールデンハーベスト映画上映の総本山、
あの嘉禾戲院(ゴールデンハーベスト・シアター)
が出てきたことです。驚きました。

 とにかく、1978年当時の嘉禾戲院の、カメラがロビーの中にまで入っていき、チケット売り場も出てくるのですから、貴重な映像です(4分55秒あたり)。

 映画館のロビーなんて、動く映像に収まっていることなんてあまりないですものね。

 係のお姉さんが座席表に赤のダーマトでチェックするチケット売り場が画面に出てきたときは懐かしくて鳥肌(笑)。画面に出てくる座席表は赤いチェックがすき間なく入っててほぼ満席のようす! イイ時代だなあ。

 座席表の座りたいところの番号を客が指でさして、係のお姉さんが座席表にチェックを入れ、チケットにその番号を殴り書きするシステム。

 1980年代は土曜の夜9時や11時の回ともなれば不良っぽいアンチャンやおネエさんが徒党を組んで映画を観にやってきました。かれらが座席表を指さして7人とか8人とか10人とか人数を告げる。そんなとき係のお姉さんは1席1席にチェックを入れるんじゃなくて、座席横一列にザーッと一本の赤い線をひいて埋める。土曜の夜はそんな赤い一直線が座席表にいくつも引いてあってそれは豪快でした。

 そんな 「団体様ご一行」 の前や後ろや横に 「運良く」 座ると、上映中に威勢のいいヤジや嬌声が間近から聞こえてきます。ときにはこっちが日本人だとは知らない隣の席のアンチャンがこちらに顔を向けて笑いながら 「こんなことあるわきゃネエよな~!?」と声を掛けてきて同意を求めてきたりして(広東語はわからないがおそらくそんなことを言ってるハズだからこっちも威勢よくうなずく)、よりいっそう香港で香港映画を観る楽しさが増すのでした。はじめて行った香港で、サモ・ハン・キンポーの 『霹靂大喇叭』(デブゴンの霊幻刑事/オバケだよ全員集合!)という映画を満員御礼の快楽戲院で1200人以上の観客に混じって異常な盛り上がりの中で観たとき、私は「そうか、これが 爆笑 というものなのか」と思いました。

 「赤ダーマトチェックの座席表」は1990年代なかば頃まではまだ各映画館でおなじみだったチケット売り場の風景です。

 参考に下の画像を見てみてください。これが座席表(座位表)です。画像をクリックしてみてください。seat-sunbeam.jpg 新光戲院のサイトの残骸から拝借。赤いチェックはたった今私が画像編集ソフトで適当に入れたものです。これからまだ客が入る途中という感じです。全部赤で埋めて満席にしてみたかったのですが挫折しました(苦笑)。

 1980年代は各映画館とも1000席を超える大劇場で、ごく普通の大作でもない香港映画の上映に、画像のような1階席とさらに2階席までもフルに埋まって満席になることが多々あったのですからスゴイです。ロビーに「FULL 満座」と書かれた札止めがかかって私は入れなかったこともあります。まさに黄金時代でした。活気がありました。

  赤チェックを入れたあとで、間違いに気づきました。チェックの方向が逆でした。売り場で客側に向けて座席表を見せているので、係のお姉さんから見たら上下が逆。逆さからチェックを入れるため、チョンとはねる「角」は本来はスクリーンに向かっているのが正しいです。

 上のYouTubeの映像でも様子がうかがえますが、観客の入れ替え時は映画館のまわりやロビーは人でごったがえします。それをあてこんだ屋台もたくさん出ます。この映像でも水野晴朗の話しているうしろで屋台の物売りの声がさかんに聞こえてきます。

 香港の当時の映画館は、日本の映画館とは違って館内のロビーはチケットがなくても入れるパブリックスペースとなっています。そこに現在上映中や次回上映のロビーカードの写真などが貼ってあります。チケットをもぎってもらってドアやカーテンを開けて中に入ると、いきなりそこがスクリーンのある場内となります。

 で、話もどって木曜スペシャル。

 これ。こちらは3分30秒のあたりに、いまはなきゴールデンハーベストスタジオの門から中に入っていく映像。(事情がよくわかりませんが規約違反のためか音声が削除された模様)


 
 私は1986年から1990年代半ばころまで数回、ゴールデンハーベストのスタジオに行きました。2回目からはビデオカメラを回したのですが、その後そのビデオカメラが壊れてしまい、けっきょく再生を1度もしていないので観ていません。だからこの映像はすごく懐かしく思いました。

 スタジオの敷地内はまったく変わらないようですが、私の行ったころと違って、1978年のこの映像では正門の前が未舗装のようで周りの様子が違うような感じがします。1986年の頃は周辺が開発されて正門の前まできちんとした道路が来ていたような気がします。



 そして、これ。
 

 こっちはショウブラザースのスタジオが出てきます。レイモンド・チョウが若い!



 この番組「木曜スペシャル ブルース・リーの世界」は、大村崑さん親子がゲストで出ていたという以外はほとんど内容を忘れていました。だから以前からずっと観たくて観たくてしょうがなかった番組です。

 2000年頃、あるとき香港のブルース・リー専門店に行ったら、店内のモニターの横にこの番組を録画したビデオテープが置いてあったので、よっぽど店員さんにお願いして流してもらおうかと思いましたが、なんとなく気後れしてできませんでした。

 おそらくあのビデオテープは日本の同志にダビングしてもらったものだと思います。ラベルの文字がしっかり日本人の書く日本語でした。


 「やっぱり芸能人はお金持ちでいいなあ」と当時この番組を観て思ったものです。だって大村崑さんは息子さんたちと連れだって1970年代にわざわざブルース・リーの家を見に九龍塘行ったりブルース・リーの墓参りにアメリカのシアトルに行っているのですから。それも何度も。高いですよ、おそらく飛行機代。香港ドルだって50円とか60円くらいしたのでは。

 その彼らのブルース・リー宅訪問や墓参りを写した8mmフィルムの映像もこの番組のはじめのほうで紹介されます。

 この番組は、冒頭はじめ随所でブルース・リー出演の一連の映画やドラマがやたら長時間にわたって流れます。ゴールデンタイムの番組なのに、昔のテレビってこんなに冗漫でのんびりしていたんだなあ、と、すごくテンポの遅い構成に時代を感じてしまいます。

 でも、当時はレンタル・ビデオもなかったし、ビデオデッキの普及もまだまだだったから、テレビで人気映画のシーンをじっくりと流すことは、ましてやブルース・リーの映画を流すことは大きな需要があったのでしょう。

 この番組はほかにも日本人カメラマンの西本正氏やノラ・ミャオはじめ見どころたくさんです。

 この映像は貴重なので香港人の知人にも教えてあげようかなと思います。


 時間がある方はこの「木曜スペシャル」のその1からどうぞ。
 こちらからたどってみてください。
 http://www.youtube.com/watch?v=kvZ1Hxc_RNc



 おまけ。これが1986年の嘉禾戲院です。学芸員K撮影。写真をクリックしても拡大しません。私の撮った映画館の写真が香港の「懐かし投稿サイト」やブログや有名新聞社にこれまでさんざん無断で使われてきたので(笑)。

gh-theatre1986.jpg それと、最後になりましたが前から キネマ旬報臨時増刊の香港映画人物名鑑 とか ----- 訂正:香港の俳優名鑑「昨夜星光」(日本語版もあり)でした----- に載ってる古い写真を見て思っていたことなのですが、この木曜スペシャルを見て確認できました。若い頃のマイケル・ホイはキャイーンの天野に似ていると思います。
 ひとつ下の記事「いいのか? こんなことして!」の2枚の写真について、念のため。

 最近、私がこのブログのトップ画像に、いろんな写真をいじって文字を描き込んで載せているので、もしかしたら、私が同じようにポルシェとベンツの2枚の写真に細工して「GL 10」と描き込んだと思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはしてませんから。そんな中途半端なウソついたって面白くないですから。

 たしかに、画像編集ソフトでいじればこんなこともできますが。

obama-benz.jpg これは私が描き込んだ(字を打った)のです。

 でも、下の記事の2台のクルマ、本当に写真のとおり同じナンバー「GL 10」が付いていたのです。

 ポルシェのほうのナンバーがやたら白くとんで不自然とな? いや、だってあなた、香港のナンバープレートはストロボに反射するとこうなるんですよ(ホント)。

 たいしたネタでもないのに、そんなにムキになることもないか。
 香港ナンバープレート・ウォッチャーの学芸員Kです。

 2006年に香港島のミッドレベル、高級マンション街の一角の駐車場で撮った写真。上がポルシェ911、下がメルセデス・ベンツSL。

porsche-gl10.jpg
benz-gl10.jpg げげッ! ナンバープレートのナンバーがおんなじ!

 同じ駐車場にこの2台がありました。

 香港のナンバープレートのナンバーは、日本(やおそらく他のほとんどの国)と違って「人」に「所有」されます。

 クルマを替えても手続きをすれば引き続き同じナンバーをそのまま付けることができます。

 日本ではナンバーはそのクルマ個体の登録番号として付き、当然ですがひとつとして同じ番号はありません。クルマが廃車となり一度そのナンバーが抹消されると、永遠に「欠番」となります。

 いくら香港では「人にナンバーが付く」とは言っても、同時期にはそのナンバーは1台のクルマにしか付けられないはず。複数のクルマに付けられるのだったら登録ナンバーの意味がありません。

 なのに! これはいったい???

 いずれにしても違法でしょうけど、堂々と往来から見える同じ駐車場に2台を置いてあるのが大胆!

 香港では日本と違って民間でナンバープレートを作れます(だからというわけではないがナンバーにいろんな書体がある!)。プレートの下にディーラーの名前が印字されてあったりもします。

 したがってナンバープレートを「作る」時点までは合法か。

 でも、もちろんそれをクルマに装着するには登録が必要なはず。このクルマのオーナーは業者に作らせたナンバーを未登録で付けちゃったという寸法か。

 クルマの後ろが写った写真がないので、「もしかしたら1台のクルマ用の、フロントとリヤに装着すべきナンバープレート 「GL 10」 1組2枚を、2台のクルマのフロントにそれぞれ1枚ずつ付けただけなのでは?(だから2台ともリヤには装着されていない)」という推測もできそうですが、それは違います。

 というのは香港ではリヤに付けるナンバープレートは、かつての宗主国イギリスと同様、地色がイエローなのです。したがってこのふたつの白地の「GL 10」のナンバープレートはどっちもフロント用なのです。だからこの2枚はダブっていることになります。

 香港のナンバープレートはやっぱりアナーキーです。


 参考:ウィキペディア「中国のナンバープレート」
    (香港のナンバーについても記述あり。光栄なことに
    私のサイト「香港なんでもケンショウ堂」が脚注に使われていてビックリ)
 カラー映像でなかなか鮮明です。






 以上3つ、見つけました。街の騒音はたぶん後から入れたものですね。
landscape400.jpg 当ブログ「香港つめホーダイ」は、今回の記事でちょうど400本目となりました。

 ふだん記事数は特に気にしてなかったのですが、さっきブログの管理パネルを見たら、これまでにアップした記事数が「399」とカウントされていました。

 このブログをはじめた当初は、「香港に住んでるわけでもなし、他の香港ファンの方々のように頻繁に香港に行ってるわけでもなし。ただ単に 『遠いかの地を想う』 ブログがいつまで続けられるのか? 」と思っていました。

 しかし、やってみるとけっこう連綿と尽きずにネタはあった...。面白いかどうかは別として。

 たまに香港以外に書きたい話題も出てきますが意識的に書かないようにしてきました。これまで何本かは中国本土ネタとか「ブログ改造してたら壊れて表示不能!」とかの事務連絡もありましたけど、全記事数の99%、いや、98%、...いや、97%くらいは香港関連のネタのはずです。

 ブログをはじめて以来、これまでにたくさんの方々からコメントをいただいてきまして、大変ありがたく存じます。

 少々堅苦しいですが、ここでお礼を述べさせていただきます。ありがとうございます!

 これからも香港迷同志に向けて多方面にジャンル問わず発信していきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
 はじめて「外国を見た」ときのことを覚えていますか?

 私にとって初めての外国体験が、香港です。

 啓德空港に着陸する直前の、飛行機の窓から見おろした夜の香港。これが私の初めて見た外国です。

 眼下に広がる無数の黄色い光を見たとき、当時学生だった私は単細胞の頭でこう思いました。

 ついに来た。ここに香港の人々がいる。日本人ではない香港の人々によって作られた街がここにある。

 そういう想いが頭のなかにパンパンにふくらんで炸裂してしまいました。

 YouTubeに、そのときの私の記憶をよみがえらせる動画がありました。

switch1.jpg  1996年から1997年にかけて、香港返還を前にしての「香港ブーム」がありました。

 いま思えばそんな騒ぐこともなかったのに、と思いますが、私自身もこの頃は返還が近づくほどになんか気持ちが高揚していったし、テレビや新聞、雑誌でもいろんな特集が頻繁に組まれたりしました。

 そのころ私は、女性ファッション誌とか月刊文藝春秋とか小部数の美術雑誌とか、普段は見ないような雑誌でも、「特集 Hong Kong」と名が付けば片っ端から買っていました。

 当時は今ほどネットも発達していなかったので、雑誌の新刊情報は直接店頭から。足げく書店に通って香港の2文字が表紙に躍る雑誌や書籍を見つけては、煽られるようにレジに直行したのでした。

 だから、香港特集を組んだ、たいていの雑誌は玉石混淆はあれど持っていると思っていたのですが、そんなはずもなく、やはり取りこぼしはあります。


 そんな取りこぼしていた雑誌のひとつをおととい偶然ネットで知り、きのう、いつものように神保町の古書店に行きましたところアッサリ見つかりました。それが上の写真の

 「SWITCH 1996年11月号 Vol.14 No.9 香港に還る」

 です。

 SWITCH。当時も今も、「香港」の文字が付いていなければ私には縁のない雑誌......。



 世界でいちばん古書店が集まった街、神田神保町にはおよそ180店の古書店が軒を連ねていますが、そのなかにはいくつか雑誌専門の古本屋さんがあります。

 今回もいつものようにまずは3軒のお店を巡りました。「@ワンダー」と「ヴィンテージ」と「ブンケン・ロック・サイド」。この3軒は同じブロックに飛び飛びに並んでいるので助かります。

 結果、在庫はつぎの通り。カッコ【 】内は今回探した「SWITCH 1996年11月号」の在庫の有無と価格。

 ●@ワンダー 【なし】
 ●ヴィンテージ 【有り 500円
(ここで購入)
 ●ブンケン・ロック・サイド 【有り 500円】


 今回はそれともうひとつ、三省堂書店本店の裏、すずらん通りに新しく雑誌専門の古書店がオープンしているのを発見! 「magnif」という、ちょっとオシャレな雑貨屋さんのような店構え。
なかに入ってみますと、

 ●magnif 【有り 500円】

 でした。10年以上も前の雑誌が4軒のうち3軒でヒットですから確率が高いです。いずれのお店もサブカルチャー雑誌が主要品目のひとつだからなのだと思います。値段はどのお店も500円でした。当時の定価は680円です。

 例によってまだ中身は読んでいないので感想が書けませんが、その代わり気になる人のために目次のページをスキャンして載せておきます。

switch2.jpg 在庫のあった3軒のうち、ヴィンテージとブンケンは雑誌がビニール(実際にはビニールではなくパリパリのセロファンのようなヤツですが名前知りません)でパックされているので店頭で中身を確かめることはできませんが、magnifはそのまま書棚に雑誌が入っているので中身を見ることができます。

 この4軒の雑誌専門古書店に共通のことで、すごく感心してしまうのが、その陳列の整理整頓の良さです。各雑誌別にわけて置かれているのは当然としても、それぞれの雑誌が乱れることなく古い順に左から右へきちんと並んでいるのです(たとえば下のリンクのブンケン・ロック・サイドのサイトに行って、店内の写真を見てみてください)。

 だから、探している号が何年の何月号とか「No.」や「Vol.」があらかじめわかっていれば、その雑誌の置かれているコーナーさえ行けば、その雑誌が店頭にたとえ400冊並んでいても(実際に店頭にはそういう雑誌もある)、順にたどれば探すまでもなく目的の号がすぐに見つかります。

 ネットで一発検索で見つけての通販も便利ですが、店頭で発見して手に取る楽しさに勝るものはないと思います。

 いちおう各お店のサイトを貼っておきます。ブンケンとmagnifにはまだ今回の「SWITCH」の在庫はあるんじゃないでしょうか。そんなに買っていく人もいないと思います。興味のある方はどうぞ。

 ●@ワンダー http://www.atwonder.co.jp/
 ●ヴィンテージ http://www17.ocn.ne.jp/~vintage/ 
 ●ブンケン・ロック・サイド http://homepage2.nifty.com/bunken/ 
 ●magnif http://www.magnif.jp/


 ところで、上の「SWITCH」の表紙。こういうのをクールっていうんでしょうか......。

 「香港に還る」の文字、特集のメインタイトルなのに、サブタイトルの英文「Wild at Heart」と逆転してやたら文字が小さいです。これでは当時本屋さんで表紙が目に入っていながら見逃してた可能性大です。実際、見逃していたのかもしれません。
 やっぱり特集なんだからスポーツ新聞の見出しみたいに「香港に還る」ってドドーンとこう大きくしていただかないと(笑)。

 気づくべき目印はカレン・モクだったのか。でも彼女のお顔を私は取りこぼしてました。

 英文ってそんなにカッコイイものなのか? やっぱり私には縁遠い雑誌です。
 ひさしぶりに「香港おみやげスライド」です。(前回はコチラ

slide-14.jpg  写真をクリックすると拡大します。

 スライドのマウントに表記されているNo.14のタイトルは、例によって上から中文、日文、英文で

 「No.14
  香港大會堂
  シティホール
  CITY HALL」

  となっています。

 このビルは香港の中環に行くと今でもありますので見た方は多いと思いますが、でも、見過ごしてしまっている旅行者もたくさんいるかもしれません。なにしろ普通のビルですから。

  維基百科(ウィキペディア)「香港大會堂」

 香港大會堂はいわゆる市民会館とか市民文化センターのようなところです。このビルの上の階には圖書館があって、インターネットができるコーナーがあるので私は何度か利用しました。

 ここには結婚登記所もあってウェディングドレスを着た花嫁にもよく出くわします。ウェディングドレスを着て登記=入籍したあと、横の広場で親せき友人一同と記念撮影という光景を見ます(そのまま結婚式&披露宴直行なんでしょうか)。見ているとこちらも晴れがましい気持ちになります。

 この香港大會堂は、いかにも、たしかに昔はモダーンだったんだろうなあ、という感じの、だから現代では逆に中途半端に古めかしくなってしまったデザインの建築物です。

 とにかく、なんの変哲もない普通のビル。市民文化センター。

 でも、なぜこんなものが外国人旅行者向けの「香港おみやげスライド」に?



 現在の香港歴史博物館ではない、かつて九龍公園にあった旧香港歴史博物館。ここに、太古から現在に至る時系列の展示物の最後のコーナーとして、戦後香港の生い立ちをいろんな音楽とともに3つのマルチ画面でテンポ良く見せるスライドショーがありました。

 「スライドショー」などと聞くと退屈で生ぬるい感じがするかもしれません。しかしこれが、なかなか見せてくれる涙モノの内容だったのです。私は当時ハマっていました。香港に行くたびに、このスライドショーを見るためだけに博物館に何度も行きました。そして私にとってはツボにはまったその内容に、見るたびに最後には本当に涙が頬を伝うのでしたが、その話はまた別の機会に...。

 で、話が長くなりましたが、そのスライドショーに、戦後の香港発展のいくつかの記憶のひとつとして、「香港大會堂 CITY HALL 完成」というようなタイトルとともにこのビルが出てくるのです。人々の待ち望んでいたものがついに出来ました、という感じの紹介......。


 たぶん当時の香港にとって香港大會堂は、戦後発展してゆく香港の街のちょっとしたシンボルだったのではないか。自由放任主義というの名の植民地政策のもと、福利厚生の加護のきわめて薄いイギリス領香港の市民にとって、この「市民文化センター」は都市の近代化を象徴する特別な存在だったのではないか。

 ということでこの香港大會堂は、「わが町自慢の建物」だった、だから100万ドルの夜景に並ぶ香港名勝のひとつとして、外国人旅行者向けのおみやげスライドに誇らしく加えられた、と私は勝手に踏んでいます。



 ウィキペディア香港版を見るとこの香港大會堂は「1962年落成」とあります。そう言われるとたしかに1960年代らしいデザインです。

 1962年といえば中環にもまだ高層ビルがひとつも建っていなかったのではないでしょうか。

 だから当時はこのビルはきわめて目立っていたと思います。1980年代半ば頃の香港上海銀行本店ビルのような感じか?

 そういえば2ヶ月まえにDVDを借りて観た、1962年製作の東宝映画『社長洋行記』にも、シネスコの画面に、しっかり、意識的に、このビルが背景として出てきます。

 これ。(写真をクリックすると拡大します)

keiju-hall.jpg 小林桂樹扮する秘書課長が中環の旧香港上海銀行本店ビル前を歩いていると、かつて香港人留学生だった大学時代の後輩とバッタリすれ違う。おや、と振り返って画面が切り替わり、その背景には香港大會堂。

 秘書課長 「あれ? やあ! リュウ君じゃないか!」

 という場面です。


 維基百科を見ると、香港大會堂は「1962年3月2日落成開幕」となっています。一方、『社長洋行記』は、同じくウィキペディア『社長シリーズ』によれば同じ1962年の「4月29日」に公開されたということです(ゴールデンウィーク映画か)。

 日本映画黄金時代の当時、特にこの作品のようなプログラムピクチャーは、突貫工事で2、3か月に1本の割合で作って公開されていたと思います。それでいくと4月末公開のこの映画の撮影は2、3月ころではなかったか。

 ということは、ここに写っているのはまさに完成寸前か完成したばっかりのピカピカの香港大會堂ということになります。

 現地の香港人コーディネーターが東宝のスタッフにぜひ撮ったらと勧めたのかも。



 そんな戦後香港の発展のシンボルだった香港大會堂。 しかし、今や他の超高層ビル群に囲まれて完全に埋もれてしまいました!

 このブログの一番上にあるトップ画像を見てください。(トップ画像は差し替えました)

 これ。(クリックすると拡大します。)

cityhall_present.jpg 矢印の先の赤丸で囲んだ小さなビルがそうなのです!!!

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