前の記事の、今はなき香港の大映画館のひとつ、「凱聲戲院(Empress Theatre)」の写真。

 1986年3月の撮影。

empress001.jpg この写真で、やっぱりみんなの目が行くのは、映画の看板の部分ではないでしょうか。

 映画館の顔は、やっぱり看板。シネコン全盛のスマートな外観の今と違って、昔の一戸建て映画館のシンボルは、やっぱりコテコテの手描きの大看板です。

 私もこの写真の看板部分をきちんと見てみたくなりました。

 そこで、手元にあった画像編集ソフト「Photoshop」の簡易版、「Photoshop Elements」で画像をいじってみます。

 ななめに写っている看板をまっすぐにしてみることにします。

 まず、看板部分を切り取ります。

kanban01.jpg

 この切り取った画像の左上の端をつまんで、引っ張って、変形させます。

kanban02.jpg さらに思い切ってグーッと引っ張って、次に左下の端を心持ち上に上げて、看板の下のヨコのラインを水平にして、その水平になったラインに対してタテを直角にします。同じように上と右も調整していきます。

 実際にはPhotoshopの画面には、画像の前に方眼紙のようなグリッドが表示できるのでそのグリッドに合わせて、上下の辺が水平、左右の辺がそれに対して直角になるように調整します。

kanban03.jpg だんだん見えてきました。

 やっているうちにタテに長くなったので、最後にタテとヨコの比率を考えて、高さを調整してちょっと縮めます。

 実際の看板のタテとヨコの比率がよく分からないので、小さな文字で書かれている出演者の文字の形が正方形になるのを目安にして高さを微調整。

 余分なところを切り取って、

 できました。

kanban_finish.jpg もし、撮影時、この看板を真正面から撮ったとしても、路上に立って下から看板を見上げて撮るような格好になるので、このようにスクエアな形には撮れません。看板の形が、下が大きく、上が小さな台形になってしまいます。

 昔は、ビルなどの大きなものをスクエアに撮る必要があった際は、「あおり」という技術(レンズ)を使って、撮影時の段階でスクエアにして撮ることが多かったらしい。(これ

 でも、いまは撮影後にパソコンで修正ができてしまいます。このブログに今まで載せた映画祭会場で撮ったポスターの写真なども一部はこうやってまっすぐに直してから載せてきました。

 上の画像は、クリックすると拡大してみられます。元の部分が小さいのを拡大したので粗いですが、よかったら見てみてください。

 
 右の「我要金亀婿」は陳勲奇(フランキー・チェン)の主演・脚本・監督・制作の作品。私はどんな作品か知りません。

 今回拡大してみて分かった。上から3番目に石堅(シー・キエン)の名前を発見。

 石堅は、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」では悪のボスを演じました(そのシーンYouTube)。大昔は黄飛鴻映画で、黄飛鴻役の関徳興の敵役としてたくさんの作品に出ました(コチラ)。

 多分この写真の「我要金亀婿」の看板は、次回上映の予告看板だと思います。

 検索したらありました。こちらで「我要金亀婿」を全編見られます。ただし広東語ではなく中国語(普通話)です。
 コチラ

 この映画館の写真を撮影した時に上映していたのは、左の「冒牌大賊」の方です。

 この「冒牌大賊」は当時、私は別の映画館(銅鑼湾の総統戲院)で見ました。でもストーリーは忘れてしまいました。あんまり面白くなかったし、観客の反応もイマイチだった記憶があります。

 検索したら、「冒牌大賊」も全編がネットにアップされていましたが、中国本土以外では見られないようです。広東語の予告編だけが見られました。
 コチラ(YouTubeにも同じものがありました。念のためコチラ

 この予告編の映像はいかにも当時の香港映画の雰囲気ですが、音楽もまさに1980年代そのものです。当時の雰囲気を思い出したくて、この曲のCDをのちの香港旅行で私は買いました。(この映画を見たときは、まだCDは普及してなくてレコードの時代)

 いま、「冒牌大賊」の看板をよく見たら「林憶蓮」の名前を発見。

 映画に出ていたあの女の子は、歌手としてヒットする前の林憶蓮(サンディー・ラム)だったのか。私の頭の中にあるこの映画の記憶はただひとつ、彼女の早口言葉のシーンです(予告編に出てくるのは別の女性の違うシーン)。この映画の中の林憶蓮はちょっとぽ
っちゃりしてました。

 このふたつの映画は、どっちも、2週間で上映作品が切り替わるような、当時の香港映画として典型的なプログラムピクチャーです。

 こういう、ある意味取るに足らない映画が各社で作られ、毎日、10はくだらない数の作品が香港中のいずれも座席数1000席を超える大映画館で上映されていたということが、当時、香港映画がまさしく黄金時代だったことのあらわれだと思います。