「我的1997」 久しぶりに聴いた へのコメント https://kengshow.com/2016/09/06/2280/ 香港のことなら食べ物、映画から道ばたに落ちているものまでなんでも詰め放題!! Wed, 07 Sep 2016 15:35:00 +0000 hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 学芸員K より https://kengshow.com/2016/09/06/2280/#comment-2651 Wed, 07 Sep 2016 15:24:05 +0000 http://kengshow.com/?p=2280#comment-2651 ころたさん

最後の笑いながらの「1997~、1997~」は
予期せぬ暗示をしていたようで、不気味ですよね。

「細路祥(リトルチュン)」は私もすごく好きな映画です!
このふたりの会話、私たちはその後の香港を知っているから
泣けてきます。

香港に行ったとき、たまたまこの映画のプレミアショーをやってました。
上映後、チュンとファンの役の子役がロビーにいたので声をかけて
写真を撮らせてもらいました。

リンク先の記事、拝見しました。

白井晃の番組、懐かしい!
あったな~! やってたな~!

冒頭の写真はテレ朝の返還式典の中継ですね。
後日、朝日新聞に載っていたんですが、
返還式典の中継は、民放の中ではテレ朝が一番視聴率が良かったようです。
久米宏のおかげだと思います。あとアグネス・チャンのおかげかな。

アグネス・チャンは返還の瞬間、涙を流していましたよね。覚えてます。
私も録画しました。

返還後50年は、一国二制度のもと、高度な自治。
……な、はずだった。

すでに返還から約20年が過ぎました。
残り30年。
どう考えても、締め付けは厳しくなることはあっても
けっして緩くなることはない。
そんなことは自明の理ですね。

でも、正直なところ、私は、返還の頃は、
香港はもっと中国の干渉なく自由にやらせてもらえるのかとノーテンキに思ってました。
だって「一国二制度」だって中国が言うんだもん。

「我的1997」に出てくるヤオハンも今はないし、時の流れを感じます。
そういえば返還後、香港に行ったときに、そのときはすでにヤオハンはつぶれていましたが
私が新空港のイミグレで並んでいたら、先のほうにヤオハンの元社長の和田氏が並んでいるのを見かけました。

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ころた より https://kengshow.com/2016/09/06/2280/#comment-2647 Tue, 06 Sep 2016 22:30:41 +0000 http://kengshow.com/?p=2280#comment-2647 初めて香港に行った1992年
ここで香港と出会わなかったらこのCD買わなかったかもしれないです。
今はなくなっちゃいましたが
中華街にあるレコード(CD)屋で、けっこうな値段を出した買いました。
憧れの香港の歌なんて思って当時は聞いていましたが
今の港中の関係を思うと、歌詞も実に恐ろしい。
1997と歌いながらの笑みも。

細路祥(リトルチュン)の1シーン
1997年の香港返還直前
香港島の景色を見ながらの子供の会話
チュン「あれが香港で一番高いセントラルプラザ」
ファン「私は中国銀行って習ったわ」
チュン「海軍の船だ」
ファン「将来は解放軍のものになるのね」
チュン「あれがコンベンションセンター」
ファン「江主席が来て香港が返還される、わたしたちに」
チュン「ぼくらにだ」
ファン「香港はわたしたちのものよ」
チュン「ぼくたちのものだ」

香港返還10年のときに記事を書いたのですが
そこからの10年、思っていた以上にスピードが速い。
ここまでになるとは

http://blogs.yahoo.co.jp/korotahk/46610011.html

長文のコメント、すみません。

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