映画会社ゴールデンハーベストの創設者にして香港映画界の巨人、レイモンド・チョウ(鄒文懐)氏が11月2日亡くなった。91歳。
私にとって香港映画とは、すなわちゴールデンハーベスト(嘉禾)の作品のことであり、ゴールデンハーベストの作品こそが私にとっての香港映画だ。
このオープニングには今でも心がときめく。ある年齢層の香港映画ファンなら、これには賛同してくれる人は多いのではないか。
私がどれだけゴールデンハーベストが好きなのかは、このブログ内で「ゴールデンハーベスト」という単語をどれだけ多く書いてきたかに如実に表れている。
< 当ブログ内の「ゴールデンハーベスト」検索結果 こちら >
検索結果を数えてみたら、「ゴールデンハーベスト」という単語の出てくる記事を79本書いた(中黒が入った「ゴールデン・ハーベスト」の記事を含むと81本)。
おそらく「香港」や「九龍」に次いで多く書いた単語が「ゴールデンハーベスト」なんじゃないか。
私のPCは「か」と打って「嘉禾」と変換されるようにしてあるし、「レイモンド」と打てば「鄒文懐」と変換されるようにしてある。
ホームページに載せるためにオープニングロゴもイチから作ってみた。これは映画の画面を撮ったものではなくて、四角い「Gマーク」も含めて作ったもの。「嘉禾」の文字はゴールデンハーベスト直営館のチケットに印刷されていたロゴから起こして赤色を付けた。
このブログのトップページのヘッダー画像だって「ゴールデンハーベスト」だし、
ツイッターのアイコンだってそうだ(https://twitter.com/Gakugeiin_K)。
プリンタとアイロンを使ってTシャツも作った(これ)。
当ブログをスマホのホーム画面に置けば、アイコンがゴールデンハーベストの「Gマーク」になるようにしてある。
それと、当ブログのファビコン(PCのブラウザの上部にあるタブ)は、以前はゴールデンハーベスト映画のオープニング同様にダンダンダンダンで「Gマーク」が表れるように設定してあった(GIFアニメの画像を作成して設置した。今はブログのシステムを変えたのでアニメにできず静止画の「Gマーク」)。
ということで、私にとってゴールデンハーベストは特別な存在なのだ。
地下鉄・佐敦駅近くにあったゴールデンハーベストの直営館には最初の香港行きから通いまくった。
こちらがその直営館、ゴールデンハーベスト・シアター(嘉禾戲院)。1986年3月撮影。この映画館のスクリーンにダンダンダンダンのオープニングが流れるのを見て感激した。
古き良き時代の、一戸建ての大映画館。< 当時の映画館の様子 こちら >
毎朝10時にやる旧作上映や、深夜にやる新作の先行上映にも行った。これがそのチケットの半券。1989年に行った2回目の香港で。
九龍郊外にあるゴールデンハーベストのスタジオにも行ってしまった。 こちら(記事は未完です。リンク切れあります。ご了承ください)
これがゴールデンハーベスト・スタジオ。これも1986年3月撮影。この古びたスタジオから香港映画黄金時代の数々の作品が生まれた。
右の「A2スタジオ」でブルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」が撮影されたらしい。
スタジオの事務棟受付にあった、彼の名前を掲げたプレート。私にはこのプレートが本当に輝いて見えた。
今のスマートで洗練された作品群とは違って、植民地時代の香港の、少々雑だけど自由で底抜けにおおらかでパワフルでハチャメチャで元気いっぱいだった黄金時代の香港映画。
私にとって、その植民地時代の香港映画の総本山がゴールデンハーベストだった。
一度だけ、私はレイモンド・チョウ氏を東京でお見かけした。
たしかこれも1986年だったと思うのだが、東京ファンタスティック映画祭が今はなき大映画館の渋谷パンテオンで開催され、その映画祭で、私がその数ヶ月前にゴールデンハーベスト・シアターで初めて見た映画、チョウ・ユンファ主演の「奇縁」も上映された。
その上映にレイモンド・チョウ氏が駆けつけ、私のほど近くの席に来賓として座ったのだ。
上映前、司会者から彼の来場が紹介されると、彼は物腰柔らかく笑顔で皆の拍手に応えていた。
大切な私の記憶。
偉大なる鄒文懐。
たくさんの楽しい香港映画をありがとうございました。
これからも私はあなたが世に送り出してきたゴールデンハーベストの作品を見続けます。
永遠なれ、レイモンド・チョウ&ゴールデンハーベスト。
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