14日土曜日に水田菜穂さんが講師を務めた「亜細亜娯楽講座」に出席して、返還後10年の香港の変化をあらためて認識しました。
 そんなこともあり、この講座のあとも昔の香港の変遷をあれこれ考え巡らせました。で、あらためてふと思い出しました。さらに時代をさかのぼり、私が最初に香港に行った1986年、つまりもう20年前のことですが、初めての香港で、日本と違うな、と思ったことがあります。 それは子どもが働いていたことです。街の夜の風景の中に、子どもたちの働いている姿があったのです。
 初めて香港に行ったのは1986年。初めての海外旅行でした。20日間の香港滞在で街のあちこちをそれこそ当てもなくさまよいました。そのとき私が行った先々の茶餐廰や屋台で、小学生くらいの子どもがお茶や料理を運んだりしていたのを私は記憶しています。廟街の今はなき大道芸でも、子どもたちがお父さん(?)の指示のもとアクロバット演技をしていました。これは特別な例だとしても、1986年当時、屋台や食堂では子どもたちの働く姿がたしかにあったと記憶しています。しかし、今、私が見る限りにおいては香港の街で子どもが働いている風景には遭遇しません。
 子どもを労働力として使うかどうかは、もちろん経済の状況の如何によると思いますが、それに加えて、その国(地域)の世間の習慣や働き手に対する考え方にもおおいに依存すると思います。要するに、当時の香港では、まだ 「子どもを働かせて良し。子どもを働き手として数に数えて良し」 という認識が容認されていたのではないかと思います。労働力というには大げさか…。要は、当時の香港では、夜、「大人の時間」に、自分の経営しているお店で「手伝い」として働かせる、という習慣があったのではないか。だから夜の街で子どもの働く姿をあちこちで見かけたのだと勝手に推測しています。
 昔の香港を思い出したらまた書きます。