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 「アサヒグラフ 1981年10月9日号」が、香港の特集を組んでいるということを知り、古書店でその古本を見つけました。しかし中身がどんなものか確認できませんでした。

そこで、図書館にあればそれを借りて中身を見て、良ければその古本を買うことにしました。図書館のサイトで検索したところ、2ヶ月分8冊を合本にしたものが蔵書されていました。

さっそく借りました。重いので持って帰ってくるのが少し大変でした(ほかにも息子のための児童小説やら仕事の本を15冊ほど借りたので)。

タイトルは「香港-暗黒街にもぐる」です。25ページにわたる特集です。

もちろん、というか当然というか、いわずと知れた 『九龍城』 (正確には「九龍寨城/九龍城砦」)の特集です。

グラフ誌ですから、写真がメインです。ところが、記事に載っていたのは、期待していたような写真ではありませんでした。

asahi-graph2.jpg どの写真もみな、「寄り過ぎ」なのです。

asahi-graph3.jpg一枚一枚の写真は、いいものかもしれません。しかし、壁、人、小物、どれも被写体に寄り過ぎているのです。

だから九龍寨城(九龍城砦)を知らない人がこの特集の写真を見たら、九龍寨城がどんな様子、どんな構造の場所なのかわからないと思います。この雑誌はグラフ誌なんですから、そこはちゃんと読者の目で見えるようにしてほしかったところです。

1枚か2枚だけでいいので、もうちょっと引いた写真を見たかったです。

要は、私の見たかったものと、この特集の撮影者や編集者の見せたかったものがズレていたということです。

アサヒグラフの読者は日本では想像できない「暗黒街」を見たいのだろうし、編集側もそれを見せようとしたのだろう。

そっちが正常だと思います。私のほうがあさっての方向の期待をしていたのでした。

 

この特集は、撮影した人がリポート文も書いています。

リポートでは、例によって九龍寨城/九龍城砦のことを 「九龍城」 と書いているので、「またか」 と思いました。

言うまでもなく、「九龍城」とは、単にエリアの名前です。どうも、「城」とあるのが日本人には誤解の元らしい。

この雑誌が出た当時はまだ九龍城砦のビル群のまわりに低層のバラックがあったと聞きます。だからここも含めて記事では「九龍城」と呼んでいるのかと思いました。新宿とか渋谷とか、そういう大雑把な言い方として、この記事ではエリア名として「九龍城」と呼んだのかと。

ところが、冒頭の記述で 「九龍城 - 英語で『KOWLOON WALLED CITY』と呼ばれている」 と説明しています。「KOWLOON WALLED CITY」は「九龍寨城/九龍城砦」のことですから、やはりこのリポートで「九龍城」と言っているのは「九龍寨城」のことのようです。

ほかにも、記事を読んで気になったのは、単にスラム街という意味で「黒社会」という言葉を使っていたり、写真に写っている「九龍城」内のおじさんを「おっさん」呼ばわりしているところ。極めて失礼だと感じました。取材者・執筆者のバイアスがかかっています。

 

写真とは、ある程度は、「真実」を物語るものだと思います。

でも、カメラマンの目に映ったものの中の、何に対してレンズを向け、そしてその被写体をどんな雰囲気に撮るかは、カメラマンによって全然違います。

また、カメラマンが撮ってきた写真のうち、どれを誌面に載せるかということも、編集者など担当者によって、企画によって、意図によって異なってきます。

もし、撮影前にすでに「イメージ」が固まっていたら、たとえ実際に取材をしてみてその「イメージ」が単なる先入観で間違いであっても、そして真実が別のところにあったことが判明しても、やはり取材前のイメージに沿った内容や雰囲気の写真が、カメラマンや編集者や編集長によって「よし、これでいこう!」と選ばれてしまうのだろうと思います。

「暗黒街にいざ潜入!」という意識を持ってで取材に行けば、街は予定通り「暗黒街」となり、誌面での写真は 「みなこちらに鋭い視線をむけてくる」というような、いかにもそれらしいキャプションが付いての掲載となる。

一方、「たくましく活気ある庶民の街」として特集を組もうと思えば、誌面には「笑顔で商売をするおじさんの写真」が登場するのだろうと思います。事実、九龍寨城にはたくさんのお店があり、普通の人々がたくさん暮らしていたのです。

この特集記事を見る前、私は、「香港 ― 暗黒街にもぐる」というタイトルから、「暗黒街」が指す所は、十中八九、「九龍寨城」のことだと思っていました。九龍城砦のアヘン窟なども出てくると予測していました。

実際の記事を読んでみて、リポートはまさしく「九龍寨城」のことだったのですが、内容は「予想以上に暗黒街」でした。

掲載されている写真のいちばんのメインは、見開きで大きく載っている、「ヘロインを腕に注射する男性」と、同じく見開き写真の「売春婦の女性」でした。

私としては、もっと、街としての当時の九龍城砦がどんな様子なのか見たかったのですが、この特集は「暗黒街」なのですから、私のその期待こそが筋違いというものでした。

リポートでは、「砦内に潜入してアヘン窟でチンピラに囲まれてカメラを奪われ暴行を受けた」というてん末も書かれています。もしそれが本当のことだとしたら、決死の取材だったことでしょう。

読んでみて思ったのは、当時、九龍寨城というのは、「暗黒街」としてものすごくポピュラーだったんだろうなあということです。九龍寨城が暗黒街としての分かりやすい「記号」だったのではないかと。

いま、香港の「暗黒街」をリポートしようとした場合はどうでしょうか。

たしかに現在も香港に暗黒街はあるだろうし、隠れたアヘン窟もあるかもしれない。けれど、でも、暗黒街にたどりついても、そこは、「九龍城」のような、記号として有名な場所ではないと思います。

どこかの本にも書いてありましたが、「九龍城」というのは香港の「暗黒街」とか「裏社会」のイメージを「一手に引き受ける便利な場所だった」のだと思います。

 

私としては、無責任な旅行者の立場で言ってしまうのですが、この九龍寨城のオブジェ自体がなくなったことはすごく惜しいと思っています。

 

あと、もうひとつ。

この特集の記事にはこういう記述がありました。

香港にいったことのある人なら誰でも知っていると思うが、『勝報』という新聞がある。」

へえ、そんな新聞があったんだ。私は知らないが。

で、その続きを読むと

「わずか六ページほどの新聞だが、これ全面、売春婦たちからの熱烈なメッセージが、それもカラー付きでのっていて面白い。」

………。

この記述、当時の日本人男性旅行者に対する皮肉か? そもそもこの新聞、日本から香港に行った人は誰でも知っていたのか。

いくらなんでも当時の香港旅行がそんな状況だったとは思えないのだが。

 

この「アサヒグラフ」は今回は買わずにスルーすることにしました。ご興味のあるかたは探してみてください。500円以下で手に入ると思います。