「広東料理の名店『鏞記酒家』 香港・食のパノラマ」の情報を教えてくださったisolaさんは子どもの頃に香港に住んでおられたそうです。1969年から1972年のことです。

 メールでそれを伺って私は

 「1969年から1972年といえば、ブルース・リーが香港で大活躍していた1971年から1973年と重なるではありませんか! 映画館の看板などは覚えていらっしゃらないですよね?」

 と、お聞きしましたら(苦笑)、当時はまだ日本人小学校の低学年だったisolaさんは、幼くてブルース・リーの魅力に気づかなかったとのこと。ブルース・リーの存在自体はご存じだったのかな?

 そのisolaさんから、貴重なお写真が送られてきました。isolaさんの親御さんがパノラマ写真を作るために撮影されたのだとか。


1969panorama-01.jpg1969panorama-02.jpg おおおッ!  海岸線が見える、ビルが少ないから。 

 送っていただいた画像は大変大きいのですが、オリジナルの大きな画像がコピーされてしまっては申し訳ないので、今回はクリックしても拡大しないようにしておきます。

 撮影年は1969年。お父様が香港に着任されてまもなく撮影された、ということなのでしょうか。isolaさんもメールで書かれたとおり、左にマンダリンホテルが
写っています。

 1970年代まではマンダリンホテルはまだ目立つ存在だったのでしょう。

 下の写真の、真ん中らから右にかけてが金鐘のエリアとなります。今とちがってビルが皆無といっていいほど建ってませんねえ。

 金鐘は、私が初めて香港に行った1986年でもまだスッカスカの状態でした。

 初めての香港旅行の二日目、九龍から香港島に初上陸し、私は中環から銅鑼湾までひたすらまっすぐ歩きました。

 中環から出発して、当時は地名などお構いなしに歩いていて、いま思えばそこは、灣仔にさしかかる手前あたりの金鐘だったか。

 「ここはなんだか殺風景でなんにもないなあ」と思いました。たしか裁判所かなにかがあったような記憶もあります。それがMTRの金鐘站あたりだったんじゃないかと思います。

 話もどってisolaさんの写真。この2枚の写真の撮影場所は、isolaさんのご記憶によれば「Bowen Road Tennis Court」とのこと。

 メールにGoogle地図のリンクもしてくださいました。

 「寳雲道網球場」となっています。(テニスって「網球」と書くのか)


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 地図の左上の「-」ボタンをクリックしてズームダウンすると、位置がわかります。

 あ、そういえば、ストリートビュー。

 ストリートビューで見たら、現在ここからどういう風に見えるか分かるかもしれない。

 ということで行ってみました。

 当時の撮影場所とは違うと思いますが、テニス場の周辺をストリートビューで「歩いて」みて、方角的に中環方向を見たのが、下のような感じ。(画面右上の四角いアイコンをクリックするとフルスクリーンで見られます)


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 手前のビルは金鐘のホテル群でしょうか。やっぱり全然違う風景です。
 
 isolaさんの写真を見て思い出したのがこれ。ブルース・リー主演の香港・アメリカ合作の映画『燃えよドラゴン』の、オープニングのタイトルバックの風景。

 8分25秒あたり。


 この映画の公開は1973年です。撮影は1972年か73年だと思います。1969年のisolaさんの写真と撮影時期が近いだけあって同じ風景です。

 この頃の香港の風景はなんだか「白い」感じがします。この時代の香港の風景の写真を見るたびにいつもそう思ってました。

 1970年代初頭の風景が『燃えよドラゴン』。で、風景をタイトルバックにした外国映画としてもうひとつ思い出すのがアメリカ映画『慕情』のオープニング。

 
こちらは1955年公開の映画です。


 映像が粗くて分かりにくいのが残念ですが、最後のほう(1分10秒あたり)に出てくる空から見た香港の街並みは必見です。

 この、街を見下ろした1950年代の香港の空撮映像はなかなか貴重だと思います。

 1970年前後が「白い香港」なら、1950年代のこちらの香港は、フィルムの色のこともあるけど、「茶色い香港」です。

 いま、あらためてこの映像を見ていて発見。街に近づいていくと画面中央に溝のようなビルの谷間が1本あります。これは、メインストリートの皇后大道(クイーンズロード)ではないでしょうか。

 街を空撮するとき、安易ではあるが手っ取り早くメインストリートの溝を目印にしてその上を飛ぶのがいちばんあり得るやり方だと思います。

 『慕情』の撮影は、今よりもメインストリートとしての存在の大きかった皇后大道を画面の中央に据えたんじゃないでしょうか。

 埋め立てがされて現在の皇后大道は位置的にずいぶんと内陸に行ってしまいましたが、かつて皇后大道は海岸線でもありました。1955年当時は埋め立てのエリアも小さくてまだ皇后大道は海から近かったのではないでしょうか。

 ……いや、もしかしたら、1955年当時は皇后大道の南側はまだ埋め立てされてなくて、この映像のいちばん左の海岸線の道路が、皇后大道だったのか?

 私は『慕情』のこのオープニングが好きでレンタルビデオをダビングして一時期ここの部分だけ何度も観ていました。

 この『慕情』の、空撮で見下ろした香港島の上環(中環?灣仔?)あたりの、なぜか建物の高さがみな同じで平らな壁のように見える街並みを見て、いつも決まって私が連想してしまったのが、映画『スター・ウォーズ』の有名なこのシーンです。

 『慕情』の香港の街並みが、『スター・ウォーズ』に出てくる宇宙要塞デス・スターの表面と、なんだか似ている感じがしてしかたがない。こっちも同じ「空撮」です。

 4分50秒あたり。


 スター・ウォーズの戦闘機も『慕情』の空撮と同じように溝を目印に飛んだな。この溝に入り込んでの戦闘シーンは、その後のSF映画に影響を与えたそうで、多くの類似シーンが登場したとのことです。

 isolaさん、話がどんどん違う方向に行ってしまいましたが、貴重なお写真ありがとうございました!