鉄の扉が開けっ放しの入り口をくぐると、暗いホールというか廊下があり、それをはさんで両側にスタジオがありました。
私はTさんのあとにくっついてそのひとつに入りました。
いくつものライトから放たれる強い光が、入ってすぐのところに組まれたセットを照らしています。
「あッ、ユン・ピョウだ!」
私は心のなかで叫びました。
セットのすき間から見えるその光の中に、ユン・ピョウが立っていました。
映画やビデオで見たあのユン・ピョウがライトに照らされていました。
当時の旅日誌を読み返すと、こんなことが書いてあります。
<なんと、ユン・ピョウが格闘シーンを撮っているところだった! ライトのいくつかはこっち(私たち)に向いていた。T氏は 『今、撮ってるからのぞかないように!』 という。>
そうです。まさしく本番の真っ最中、しかもアクション場面の撮影だったのです。
Tさんと私は、セットの陰に隠れました。だからそれ以降は撮影シーンを見ることができませんでした。
<『レディ………アクション!』 のかけ声で、相手役の大きな奇声とセットにぶつかる激しい音。OKが出ないのか、それが何回も繰り返される。>(旅日誌より)
「ウヤーッ !!」 「イアアアッ!!」 と、香港映画でよく聞く迫力の格闘シーンの怒声。木とベニヤ板で組まれたセットが壊れるかと思うほどの激しい音と振動。
ライトに照らされた表側とは違って、セットの裏は暗いです。Tさんと私は音を立てぬように身をひそめました。
Tさんは私といっしょにしゃがみながら 「あれ、よわったなあ。出られなくなっちゃたよ」 と小さな声で言いました。スタジオを出るには、セットの前面に出てカメラの前を通らなくてはならなかったからです。
実は私はスタジオに入ってからずっと持参のカセットテープレコーダーを回していました。テープを再生してこのときのTさんの「よわったなあ」の日本語を聞くと笑ってしまいます。
セットに身をひそめながら、私はTさんに聞きました。
「(ユン・ピョウに)会ってもいいですか?」
「いいけど、くれぐれもじゃまにならないようにしてください」
「いつ会っていいですか?」
「いつって、そりゃあなた、あなたが自分で判断してください。雰囲気でいいなと感じたら。でも、あまり長い時間いてはだめですよ。ユン・ピョウで10分、ジャッキーで10分くらいね」
このやりとりも録音されて残っています。でも、聞き返さなくてもこのときのTさんとのやりとりは今も覚えています。
頃合いを見計らってTさんは、
<Tさんは 『くれぐれもじゃまにならぬように』 と言い残して去って行く。>(旅日誌より)
文字で書くとTさんの発する言葉はつっけんどんな感じに聞こえますが、実際の雰囲気はそんなことはありませんでした。
ここまで日本語で案内してくれた本当に親切なTさんは、カメラの回っていない一瞬のスキをみて、私のお礼の声を背に受けながら去って行きました。
私はセットの裏にひとり残りました。
<何回かの 『アクション!』 と セットにぶつかる激しい音。
しばらくして笑い声が聞こえ、なごやかな雰囲気になった感じがしたので陰から顔を出してみると、みな休憩している。>(旅日誌より)
いちばん近くにいたスタッフと思われる人に近づいていき、私は上気した気持ちで、日本から旅行で来たのですがと前置きして、
「ユン・ピョウに会っていいですか?」
と小さな声で聞きました。するとそのスタッフも私に合わせるような小さな声で
「ジャペーン? ウエルカム!」
と言いました。このときの会話も持参したテープレコーダーに録音されています。
いきなりセットの裏から現れて近寄ってきた私に対して、こんな返事がかえってくるとは予期せず驚きましたが、そのひとことで一気に緊張がとけ私はホッとしました。
そのスタッフの彼は、わざわざ私をユン・ピョウのところまで連れて行ってくれました。
そして、彼は二言三言何かを広東語でユン・ピョウに告げました。
するとユン・ピョウは私の方に顔を向け、小さくうなずきながら満面の笑みでこう言いました。
「ハイ!」
本当にこぼれるような満面の笑みのユン・ピョウがそこにいました。
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前置きの長い文にて失礼しました。
ここまでは、サイトで書いた記事を加筆修正したものです。
次回、その6から、一気に写真をアップする予定です。
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