「知らなかった~!」
 1998年、これまで九龍城の海側にあった啓徳(カイタック)空港(香港国際空港)に代わって、ランタオ島北岸のチェクラップコク島に新香港国際空港が開港しました。
 空港の移転の理由は、啓徳空港が慢性的な過密状態だったことはもちろん、香港の中国への返還を控えた中英それぞれの政治的思惑、そして香港の空港をアジアのハブ空港にするための経済的な戦略など様々な背景があったわけですが、新空港の建設計画にあたっては、その代案として啓徳空港の拡張という案もあったということです。
 『もっと知りたい香港 第2版』にはこのような記述があります。
 「南Y島西沖合案、啓徳空港拡張案との比較で決定された新空港はこれまでのような都市の心臓部に抱え込んできた啓徳空港とは異なり」(…後略。太字は学芸員Kによる)
                                (可児弘明編 弘文堂 1999年刊 P.109)
 考えてみれば、手間ヒマとお金のかかる移転ではなく「既存の空港の拡張」という案があったのは、当然といえば当然。それにしても、もし啓徳空港拡張案が移転案を押しのけていたとしたら、今でも香港へ到着するときにあのスリルが味わえたんですね。
 観光客の我がままで勝手な郷愁だというのは承知しているのですが、現在の新香港国際空港よりも、啓徳空港のほうが断然おもしろかった。香港へのアプローチで啓徳空港にランディングするのは、香港詣での毎回冒頭の儀式でもありました。映画のクレジットタイトルみたいなもんです。「スターウォーズ」の最初に高らかに流れる20世紀フォックスのファンファーレみたいな。
 ―――シートベルトのサインが出て機体が下がり、雲が切れた瞬間、眼下にいきなり現れる灰色にくすんだビルの海。そのビルの間を縫う道路にはバイリンガルの路面表示 「SLOW 緩慢」 。「ああ、また香港に来たなあ」。走るクルマの車種までわかる超低空飛行。翼を見るとフラップがせわしなく小刻みに動いていよいよ「香港カーブ」と呼ばれる右急旋回。ここから本番。これがジェット機の挙動とは思えぬほど大きく傾く機体。右窓際席ならば、自分の肩越し真下に迫るのは雑居ビル屋上。その屋上の物干し竿にかかる無数のシャツやくつ下。機体はなおもグングン下がり、街行く人のネクタイの色までよく見える。屋上から突き出たアンテナを引っ掛けるんじゃないかとお尻がムズムズするが、機体はお構いなしになおも高度を下げ、ついにはほとんど目線の高さとなった街並みが、ふと窓から消えたと思った瞬間、間髪をいれず座席に伝わる着陸の衝撃。窓には湾を挟んで香港島の高層ビル。滑走路横に立つ巨大広告看板、中国たばこ・ダブルハピネスとマルボロがようこそ、とお出迎え。―――
 書いてて、ひとり興奮してクサイなあと思いましたけど、ご容赦のほど。とにかく、かくも忙しい啓徳空港への着陸に比べると、現在の新空港へのアプローチは落ち着いていてサイレントな雰囲気。着陸するときに窓から見える様子は成田空港にどことなく似ています。新香港国際空港は世界でも有数の巨大空港ですから、香港ファンとしてはこの新空港が誇らしくもあります。でも、やっぱり啓徳空港のあのイベント性の高さにはかないません。
 啓徳空港があった頃、学芸員Kは機上の人から今度は通行人のひとりになって、あの爆音を聞きに九龍城へ何度も足を運びました。機体が通過する真下のマンションの屋上に上って、降臨する金属の腹にさらに近づいたこともあります。このエリアに住んでいる人々にとっては迷惑この上ない(慣れっこになっていた?)ジェット音ですが、観光客の学芸員Kとっては香港の楽しいアトラクションのひとつでした。
 その真偽は知りませんが、かつて、トラムが廃止される話が持ち上がったとき、香港観光協会(現香港政府観光局)が反対したと聞いたことがあります。空港移転も反対してほしかったなあ。観光局は移転には大歓迎だっただろうけど。
 啓徳空港は今思えば、まことにもって香港らしい、香港という都市を象徴するような空港でした。
 そうか、啓徳空港拡張案というものもあったのか! 知らなかった!
 「香港カーブ」で検索すると、詳しく解説した航空ファンの個人サイトがいくつかあります。パイロットの座席から見たカーブの最中の景色の写真も見ることができます。ぜひ検索の上、見てみてください。
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