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     【会場ロビーにあったポスター】
     こういうオリジナルポスターを売店で即売すれば、それこそ、
     飛ぶように売れると思うんですけど、どうでしょうか。
     映画祭ではグッズを売るのは似合わないのかな?

 23日の初日、オープニングセレモニーにつづき上映されたのが『鐵三角』です。ストーリーについてはは他力本願ですが映画祭公式サイトのココを。
 
 3人の監督によって作られた映画ですが、いわゆるオムニバスというやつではなく、一本の物語の前半をこの企画の言いだしっぺであるツイ・ハーク、真ん中をリンゴ・ラム、後半をジョニー・トーが演出するというもの。時差のあるジャムセッション製作映画とも言えます。
 この作品、すごく楽しめました。けど、主人公ら3人の行動がなんか必要以上に流されていく感じが強かったような。これがジャムセッション製作の結果なんでしょうか。
 そもそも、この映画の製作手法は、言ってしまえば 「お遊び」 です。それ以外にはありません。だって、物語のスタートとなる前半担当の監督が、中半以降の演出はもちろん物語の展開を考えずに撮って、それ以降は、別の二人にお任せというのですから。
 映画は最後の最後で納得させてくれれば、半ば良し、というものでしょうから、最後を担当したジョニー・トーが事実上のこの映画のカギを握っていたことになります。ジョニー・トーにその意識があったかどうか知りませんが、映画としてきちんと完成させるには、すべての辻褄合わせを自分のパートでしなくてはいけないのです。で、その辻褄が果たして十分合っていたのかどうか、恥ずかしながら、私はイマイチわかりませんでした……。
 ラストに展開される、ある種のバカらしさ。ここに、私は古くから連綿として通底する「香港映画」を見ました。個人的に、このラストの展開は、香港映画だから、「許せる」。
 ところで、大好きな香港映画を観てときどき未だにとまどうのは、シリアスなシーン、それも人の生死にかかわるシーンで笑いを誘う演出があることです。仲間の瀕死の妻をクルマに載せて病院に行こうか迷ってロータリーをくるくる回るシーンでは、ここで笑っていいものかどうか、今回のオーチャードホールの会場の笑いは明らかに戸惑いがあったような雰囲気でした。
 日本人の観客にとって、こういうときのシーンには、ふたつのパターンがあります。
 まずひとつは、香港の製作者サイドが、最初から笑わせるつもりで演出したが、しかし、日本人の感覚からすれば、そのシーンはシリアスな状況の場面だからその笑いには戸惑って引いてしまうというもの。
 ふたつめは、製作者はきわめてまじめな場面としてそのシーンを作ったのに、日本人にとっての映画上のルールとしては滑稽だから笑ってしまうというもの。
 私は、ふたつめのパターンを、ゴールデンハーベストの『奇縁』という作品で経験しました。私が香港の映画館でこの映画を観たさい、完全にシリアスな場面として香港の観客に静かに鑑賞されていたあるシーンが、東京の映画祭では、「そんなのあるワケねーよ!」というノリで大爆笑されたのです。
 その映画祭での日本人の笑いは、香港映画のそんなノリを、ファンが肯定的に認める良いニュアンスの笑いでした。しかし、そのとき客席に出品者のレイモンド・チョウがいたので、香港の映画館での同じシーンに対する観客の静かな様子を知っていた私は、人知れずハラハラしてしまいました。
 で、今回の映画 『鐵三角』 のシーン、ロータリーくるくるは、ひとつめ、前者のパターンというわけです。このシーンに会場の笑いは微妙でした。控えめに「笑っていいのかなー」という感じでクスクスと。ちなみに日本映画 『海猿』 を、アメリカでは後者のパターンで観客がゲラゲラ笑ったとか。
 ●『鐵三角』公式サイト
 http://www.trianglethemovie.com/