1962年製作の東宝映画 『社長洋行記』 香港登場シーンのほぼ全部紹介、前回からの続き。
前回の記事で、「同じ記事に随時追記して写真をアップする」と書きましたが、それだとやっぱり記事が長くなってしまい見にくくなりそうなので、それぞれ独立した記事として写真をアップすることにします。
ということで、<その2>をどうぞ。
各写真はクリックすると拡大して見られます。(拡大する必要のないものは拡大しません)
まず前回の啓德空港のシーンをおさらいで。
では以下、<その2>へ。
到着ロビーで社長様ご一行を待っているのは、世田谷千歳烏山生まれで香港在住、でも日本語はなぜかカタコトという設定の怪しい、でも人の良さそうな、日本人(フランキー堺)。
啓德空港到着ロビー。「ヨロシク。ナンデモ ボクニ マカセテチョーダイアルヨ!」。
たぶんこの空港内のシーンはロケではなく世田谷砧の東宝スタジオのセットだと思います。
空港のシーンの次は、さあ、いよいよ香港にやってきた!という感じのインサートカット。バスの色が赤いから九龍サイドです。彌敦道です。
撮影場所はどこか?
道路が途中で折れ曲がっている感じです。向こうが見えません。
そこから考えると、このシーンに写っている彌敦道は、(当時は地下鉄はありませんが)佐敦站と油麻地站の間の、矢印の間あたりではないかと推測。(地図は、2006年版 香港街道地方指南)
彌敦道の、上の地図の矢印の間の部分は、ゆるやかに「くの字」(逆くの字)に曲がっています。
たとえばバスの2階最前列に座って旺角方面から尖沙咀に向かうとき、ここを越えなければ前方の海が見えません。
では、上の写真の映画のシーンは、このあたりを、上の矢印(北)から撮ったのか? 下の矢印(南)から撮ったのか?
建物の看板など、カギとなるポイントはいくつもありますが、どっちから撮ったのか判断できません。
写真右に写っている「SINCE…」は、「SINCERE」でデパートの「先施」なのかもしれません。
【追記】 わかりました。南からの撮影でした。単純です。写真を見ると道は左に折れ曲がっています。彌敦道は「逆くの字」ですから、道が左に折れているそのことだけで南から撮影ということになります。北から撮影したら、道は右に折れ曲がる風景となります。こんな単純なことに気が付きませんでした。(汗)
当時はトヨタのクラウンやコンフォート、日産のセドリックやクルーではなく、タクシーはメルセデス・ベンツ。色も赤くありません。でもバンパーに付いている半円形のプレートは現在と同じ。
一行が泊まるのはアンバサダーホテル。タイアップしているのか名前が画面いっぱいに出てきます。
アンバサダーホテルはココ。矢印のところ。私の持っているなかで一番古い地図(1991年版 香港街道地方指南)より。
アンバサダーホテルは1995~96年頃になくなったと思われます。香港街道地方指南の95年版にはアンバサダーホテルが載っていて、97年版はここが空白になっています。(96年版は人にあげてしまって持っていません……なのに97年版は2冊も持っている)
上の映画のシーンを見ると、アンバサダーホテルの前面には建物がなく開放的です。この映画の当時はアンバサダーホテルの南側にはシェラトンホテルは建っておらず、広い駐車場でし
た(あとのシーンでこの駐車場が出てきます)。
当時のアンバサダーホテルは、シービューの満喫できる高級ホテルだったのかもしれません。
私が初めての香港行きの計画をたてているとき、泊まるホテルをどれにしようかと、それこそ穴の空くほど眺めたり読んだりしたガイドブックがあります。1984年に刊行された「宝島 スーパーガイドアジア 香港」です。
そのスーパーガイドアジア香港の「ホテル・データバンク」のページには、かなり辛らつな各ホテルの寸評が載っています。
「アンバサダーホテル」の欄を見ると
「國賓酒店 AMBASSADOR HOTEL
英国植民地のアメリカ人好みホテル。81年の全面改装と83年の全館コンピュータ化が
有名なだけ」
となっています。うーむ。すでに、1984年頃にはステイタスが低下していたのか?
アンバサダーホテルの部屋。たぶんこれは東宝のスタジオ。幼い少年のボーイさんは、当時の香港では普通だったのか、それとも映画のなかのイメージとして少年にしたのか。
「おー。ワンダフルっ!」と南秘書課長(小林桂樹)が叫んだ、アンバサダーホテルの部屋の窓から見た景色は……?
おー、ワンダフルっ! いまは亡き九龍站の駅舎があります。
バスターミナルの見え具合からみて、実際にはアンバサダーホテルよりも西寄りのところから撮影された風景だと思いますがどうでしょうか。
つづく。
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