写真の引用元
http://www.sankei.com/photo/story/news/141020/sty1410200010-n1.html
きょうで選挙をめぐるデモが始まってちょうど1か月だと、朝のNHKニュースでやってました。
学生らが対峙している相手は香港政府ではなく結局はその背後にいる中国だから、かれらの要求を香港政府がのむことは難しいとは思います。
どう考えても、今の香港政府が独自の判断で学生に応対するとは考えにくい。
けれどもなんとか、うまい着地点はないものかと、思ってしまいます。
先日の 「対話」 のときに学生の向かいに座った政府の面々も、時代が違って彼らが学生だったら、反対側の席に座っていたかもしれない。
ところで、きょうやっていたニュースで占拠の風景を見て、あることを思いました。
それは、最初の頃に比べると、すっかり、「定住」の趣きが出てきたということ。
色とりどりのテントが順序よく並んでいて、その整然とした様に、いっそう定住の感を強く持ちました。
ニュースでは、協力者によって、デモ参加者が自由に使えるwifiの設備が設けられたり、職人が机を造って、学生用のかなり立派な自習コーナーが設置されたりしていることが報じられました。
机が並び学生たちがノートやノートパソコンを開き学習している様子は、これに天井と壁があれば普通の自習室のようです。
この風景を見ると、やはり香港人の「国民性」(地域民性)があるのかなと思ってしまいます。
山口文憲か何かの本で、香港人は、店やアパートの軒先に簡易式の折りたたみベッドを出して、街往く人がたくさんいる往来で睡眠を取ったりして、日本の感覚からすると、「生活」を外に出すことに抵抗がない、外を生活の場にしてしまうみたいなことが書かれていました。
これも何かの本で読んだのですが、香港では狭い部屋を抜け出してマクドナルドや空港(当時は街中の啓徳空港)のロビーで宿題をやっている高校生をよく見かけると書いてありました。
あるいは、香港のビルの屋上には、イレギュラーで木造家屋を造ったりもします。法規制に対する考え方が日本とは違うのかもしれないけれど、香港人は生活の場が外界にはみ出しているようにも思えます。
本に書かれていたことはすでに街の風物としては過去のものなのかもしれないが、こういう香港人の、あるいはかつての行動様式が、今回の占拠での様子にも表れているのかなと思いました。
応援しています。
けれども、出口が見えないです。
コメント