この写真は1961年にリニューアルオープンしたときの皇后戲院の新聞広告。(Wong先生提供)
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 ここで記事とするのは3日遅れとなりますが、9月30日、80年を超える歴史を誇ってきた中環の皇后戯院が、ついに閉館となりました。
 香港では、従来からの映画館が閉館していくのは珍しいことではありませんよね。というよりは、ほとんどの従来型映画館はなくなってしまいました。でも、この映画館は少し事情が違うようで、香港の人々にかなり惜しまれているのか、少し話題になっているようです。
 もちろん、建物自体は歴史の半ばにして建てかえられ、また中身も他の映画館同様に縮小されてリフォームされ原型を留めていないのですが、数ある香港の映画館のなかで、「同じ場所」「同じ館名」で80年以上も続いたのは、この皇后戯院のみだと思います。
 で、きのう香港のWong先生から上の画像がメールで届きました。1961年7月21日の新聞広告。建て替えられた新しいビルの皇后戯院のオープンです。それまで 一戸建ての映画館だった皇后戯院 が 取り壊されて 商業ビルになって、皇后戯院はそのビルに入ったわけです。「建築に3年かかった」とか、広告のコピーが興味深いです。
 上の写真にある広告イラストの、新築の「陸海通ビル」にこの映画館が入ったのですが、これって、商業ビルに映画館が入った走りなんでしょうかね。
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 で、この写真が上の広告から25年後の1986年に私が撮った皇后戯院。上のイラストの建物の右の部分を撮ったということになります。看板にあるのは、上映中が今は亡きアニタ・ムイ主演の『壞女孩』で、次回上映がマイケル・ホイの 『歡樂叮[口當]』です。
  ところで、この皇后戯院の閉館は、正直なところ、私としては、今、あらためて自分の気持ちを考えてみると、実はそれほどショックを感じていないことに気がつきました。最初にこの報を知ったときは、他の方のブログへのコメントでも書いたのですが、たしかに 「嗚呼ッ!」 と思いました。でも、結局、この映画館は、時代に合わせて段々に形を変えて、小さくなっていって、たたずまいも今風になって、で、最期はろうそくの火のように、ポッと消えていった、というような感じに思えるのです。それはそれで映画館の寂しい末路ですが、私の感情としては「ショック」ということではないです、あらためて思うに。最期まで座席数1000席を超える一戸建ての劇場を死守した映画館が消滅、というのとは訳がちがいます。私にとっては、一戸建て1000席大映画館のまま消滅した、油麻地の嘉禾戯院、のちの新寶戯院が閉館になったときのショックのほうが大きいです。
 啓徳空港や九龍城砦の消滅、そして数々の大映画館のあいつぐ閉館など、無くなることのショックには慣れっこになっているというのもあるし。
 とはいえ、同じ場所、同じ館名で私が初めて香港に行ったときからあった皇后戯院がなくなったことはやはり感慨深いです。
 先日、大英帝国への怨念を書き続けてきた落書きの岩窟翁、「九龍皇帝」が亡くなりました。この「皇帝」の次に今度は「皇后」が長い歴史の幕を閉じました。植民地時代の香港の名残りとなるものが、ひとつひとつ消えていきます。
 私のサイトにある「皇后戯院の歴史」
 Wongさんのブログ「戯院誌」の皇后戯院閉館の記事
 皇后戯院の閉館を惜しむこんなブログ記事もあります。
 KKBlog
 皇后戯院、閉館。合掌!