きのうテレビで、「速読」のことが話題になっていました。
レベルは人によって違うのだと思いますが、テレビに出てきたその女性は、6秒で見開き2ページを読んでページをめくっていって、普通の小説の文庫本を9分で読んでました。前にも速読をテレビでみたことがありますが、そのときの人はもっと早く、パラパラ漫画を見るみたいにペラペラとページをめくってました。
で、きのうの番組ではその女性は、早く本を読めるだけではなく、速読の訓練のおかげでバッティングセンターの時速150kmの球にバットを当てたり、その飛んでくる球に書かれた数字や、時速300kmで通過する新幹線のぞみの窓に貼った数字を読んだりしていました。
番組に電話で出てきた大学の先生は、「速読は『認知範囲』を広くすることによって可能になる」というようなことを言ってました。認知範囲を広くして、目に映ったたくさんの情報を瞬時に脳で認識する能力のことらしい。
本のページを開いて全体をバッと見て、全部の文字を映像のようにしていっぺんに脳に送り込むみたいなものなのか?
その女性は、「ウォーリーをさがせ」のページを開いてたった3秒でウォーリーを見つけてました。
私にはその能力はない。訓練しても速読したり認知範囲を広げたりはできなさそうな気がします。本を読むのは好きな方だと思いますが、でも、読む速度は普通の人よりちょっと遅いのではないかと自覚しています。
しかし、私はウォーリーは3秒で見つけられないけれど、「香港」の2文字に対する認知能力(?)だけは別。最近はそうでもないが、一時的にかなりすごかった(笑)。
「香港」の2文字に対してだけ。
たとえば、あさ起きて、新聞のテレビ欄を開く。で、細部に目が行く前、まだ視線が、紙面全体をコンマ何秒か一瞬眺めて、これから視線がどこかの局のどこかの時間帯にズームインする、というその前に、
「ン? なんか右下らへんに『香港』の2文字があったぞ」
などと「感じて」しまう。
そして、その番組表の右下らへんをたどっていくと、十中八九、ほとんど必ず、「香港」の文字がある。
私は、この自分の特殊技能(笑)に気付いてからは、あさ新聞を開くと、速読よろしくテレビ欄の全体をまずはバッと見ました。そして「香港」の2文字を感知してのち、その感じた方向に視線をズームイン。そして「香港」の2文字を見つけていってはビデオデッキで番組録画予約してました。
しかし、まれに、いやけっこう間違うことがありました。
「香港」を感知したのでズームインしていくと、「優香」だったり、「横浜港」だったりした。過剰認知症という言葉があるかどうかは知らないけれど、そんなようなものか。
今はテレビの予約はDVDデッキのキーワード検索に頼るので、テレビ欄に関しては、そういうことはしなくなりましたが、でも今でも新聞を開いて、ときどき「あ、このページのどこかにある」と「感じて」、記事の中にやっぱり香港の2文字を発見しています。
件の速読の女性のたとえば「ウォーリー探し3秒当て」と違うのは、私の場合、瞬時に「香港」の文字の存在の認識は確かにするが、それがどこにあるのかは、ピンポイントではわからないということです。だいたいここらへん、というエリアまでしかわかりません。なぜかはしらない。
でも、気のせいで「香港」の文字を「感じて」、たまたま見てみたらその文字があった、というのではけっしてないはず。
というのは、「香港」の2文字を最初に「感じ」なければ、細部を見て探していってもやっぱり香港の2文字は、ほとんどの場合なく、逆に「感じて」のち細部を見ていくと2文字がやっぱりある、という確率が非常に高いからです。
最近、ぜんぜん今回のこととは関係なくふと思ったことがあります。たとえば、英語ネイティブとか普段の生活でアルファベットを使っている人が、日本語の新聞なり本をぱっと眺めたら、大量の漢字とひらがなに埋もれたなかにあるアルファベットを瞬時に認識しているのかなあ、ということ。
中国語ネイティブの人も、日本の新聞を見たら、漢字だけが前面に飛び出して見えてくるというか、脳は自動的に自分が読める漢字のみを拾い出してひらがなは後方に押しやっている、そんな認知をしているのかもしれない、と思ったりします。
私自身、韓国に行ったとき、ハングル文字の洪水の中から、漢字(とアルファベット)だけ瞬時に目に飛び込んできたようなことが、あったような気もする(たしか)。
そんなのと同じように、私は「香港」の文字の形に特別に反応するようになったのかもしれない。
こういうのは、たとえば文字の大海に埋もれた中から大好きなスターの名前とかを見つけてしまう熱狂的なファンとか、同じようなことは他の人にもよくあることなんだと思います。私の場合それが「香港」の2文字ということなのでしょう。
ところで、「春巻きを香港と読む病かな」という香港ファンの方が書かれたエッセイの本があります。このタイトルに私はすごく共感を覚えます。この本の著者も香港の2文字に対する過剰認知症を持たれているんではないかと。
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